
解禁後初の案件となる中古護衛艦輸出
日本とフィリピンが、海上自衛隊の中古護衛艦の輸出をめぐって協議を始めた模様である。
報道によれば、対象となるのは海上自衛隊が保有してきた護衛艦であり、南シナ海で中国の威圧的行動に直面するフィリピン側の海洋警備能力や、海軍力の強化を目的とするものとされている。フィリピンにしてみれば、中国海警局の船舶による放水、接近、進路妨害といった強引な行動が相次ぐ中で、自国の艦艇能力を高めたいと考えるのは当然であり、日本側としても「自由で開かれたインド太平洋」という看板を掲げる以上、フィリピンとの安全保障協力を強化したいという思惑があるのだろう。
その事情そのものは理解できる。
南シナ海で中国が行っている力による現状変更の試みは、決して看過できるものではなく、フィリピンが置かれている厳しい安全保障環境を考えれば、日本が何らかの形で支援を行うべきだという議論にも一定の説得力はある。
しかしながら、今回の中古護衛艦輸出は、単なる友好国支援や退役装備の有効活用といった話で済ませられるものではない。
それは、防衛装備移転三原則の運用見直し後、いわゆる「解禁後初」の本格的な案件となる可能性があり、日本が戦後長らく維持してきた「武器を輸出しない国」という自己規定を、実質的に大きく変質させる重大な転換点となり得るからである。
にもかかわらず、この問題が国民的議論を十分に経ることなく、「対中抑止」「同志国支援」「海洋安全保障」といった耳触りのよい言葉の下、なし崩し的に進められようとしていることには強い違和感を覚えざるを得ない。
「中古」だから問題が軽くなるわけではない
政府や推進派は、おそらく今回の案件について「新造艦ではなく中古艦である」「フィリピンの海洋警備能力を高めるためである」「中国の威圧的行動に対抗するために必要である」「日本の安全保障にも資する」といった説明を行うであろうし、実際、その説明には一見するともっともらしい理屈がある。
たしかに、フィリピンが南シナ海で中国から受けている圧力は極めて深刻であり、国際法を無視するかのような力による現状変更を許してはならないという原則は、日本としても共有すべきものである。また、フィリピン周辺海域の安定は、日本のシーレーン、ひいては日本経済の生命線とも関わる以上、決して他人事ではない。
しかし、だからといって日本が海上自衛隊の護衛艦を輸出することが自動的に正当化されるわけではない。
ここでいう護衛艦とは、単なる巡視船や警備艇ではなく、海上自衛隊の一部として日本の軍事力を構成してきた艦艇である。たとえ退役艦であろうと、中古艦であろうと、それが相手国の軍事力、少なくとも海上での実力行使能力を高める装備であることに変わりはない。
にもかかわらず、「中古だからよい」「退役艦だからよい」「友好国向けだからよい」「中国対抗だからよい」という程度の説明で済ませるのであれば、あまりにも雑であり、戦後日本が積み上げてきた武器輸出抑制の原則を軽視するものと言わざるを得ない。
問題は、装備が新しいか古いかではない。
それが日本の安全保障政策においてどのような意味を持ち、日本がどこまで他国の軍事力形成に関与するのか、そしてそのことについて国民がどこまで理解し、同意しているのかという点にこそある。
防衛装備移転三原則はどこまで骨抜きになったのか
かつて日本には、武器輸出三原則という強い抑制の枠組みが存在していた。
もちろん、それが完全無欠の制度であったと言うつもりはない。冷戦期の現実、日米同盟、防衛産業の維持、技術協力などとの間で多くの矛盾を抱え、例外的運用を重ねてきたこともまた事実である。
しかし、それでもなお、日本は長らく「武器を輸出しない国」という自己像を維持してきたし、それは戦後日本の平和主義を国際社会に示す一つの象徴でもあった。
ところが、その原則は徐々に変質していった。
武器輸出三原則は防衛装備移転三原則へと姿を変え、「武器」という生々しい言葉は「防衛装備」という柔らかな言葉に置き換えられ、「輸出」は「移転」と呼び替えられ、例外は拡大し、運用は緩和され、ついには殺傷能力を持つ装備の輸出にまで道が開かれようとしている。
この言葉の置き換えこそ、日本政治が得意としてきた ”お家芸” である。
武器ではなく防衛装備であり、輸出ではなく移転であり、軍事支援ではなく安全保障協力であり、戦争準備ではなく抑止である──という具合に、実態が大きく変わっているにもかかわらず、言葉だけを穏当なものに置き換え、国民の警戒感を中和しながら政策転換を進めていく。
これは極めて不誠実な政治手法である。
本当に日本が防衛装備の輸出を拡大するというのであれば、政府は正面から国民に問うべきである。
日本は武器を輸出する国家になるのか?
なるのであれば、どのような基準で輸出するのか?
輸出後の管理はどうするのか?
第三国移転をどう防ぐのか?
輸出した装備が紛争で使われた場合、日本政府はどのような責任を負うのか?
──これらの問いに十分に答えないまま、個別案件を積み上げる形で既成事実を作っていくのであれば、それは制度変更ではなく「なし崩し」である。
対中抑止という便利すぎる免罪符
今回の中古護衛艦輸出を正当化する最大の理由として持ち出されるのは、言うまでもなく「中国への抑止」である。
中国が南シナ海や東シナ海で威圧的な行動を強めていることは事実であり、フィリピンへの支援が日本の海上交通路の安全や地域秩序の維持に関わるという説明も理解できる。中国の力による現状変更を放置すれば、やがてその圧力は台湾海峡や尖閣諸島周辺にもさらに強く及ぶことになる、という危機感も決して荒唐無稽ではない。
しかし、「対中抑止」と言えば何でも許されるのか。ここが問題である。
近年の日本では、防衛費の大幅増額、反撃能力の保有、南西諸島の軍備強化、米国との軍事的一体化、そして防衛装備移転の拡大といった安全保障政策の大転換が、ことごとく「中国」「北朝鮮」「ロシア」という言葉によって正当化されてきた。
もちろん、周辺環境が厳しさを増していることは否定しない。
だが、その現実を理由にすれば、すべての政策変更が自動的に正当化されるわけではない。
むしろ、安全保障環境が厳しい時代だからこそ、政策変更の中身は冷静かつ厳格に検証されなければならない。軍事的対応を強めることで本当に抑止が高まるのか。相手国の警戒心をさらに刺激し、軍拡競争を加速させるだけではないのか。日本が地域の緊張緩和ではなく、緊張拡大の一部として組み込まれる危険はないのか。
こうした問いを抜きにして、「中国がいるから仕方ない」と言うのであれば、それはもはや現実主義ではなく、単なる思考停止である。
対中抑止は、便利な免罪符になってはならない。
輸出した後の責任を誰が取るのか
さらに深刻なのは、輸出後の責任である。
仮に日本の中古護衛艦がフィリピンに引き渡され、その艦艇が南シナ海で中国船と対峙し、偶発的な衝突が発生し死傷者が出て、軍事的緊張が一気に高まった場合、日本政府は一体何と言うのか。
「すでに輸出したものであり、使用はフィリピン政府の判断である」と言うのか?
「日本は関与していない」と言うのか?
「地域の安定に資する支援だった」と繰り返すのか?
──しかし、装備を渡した以上、日本が完全に無関係でいられるはずがない。
武器輸出とは、単にモノを売ることではない。相手国の軍事行動に、一定の形で関与することを意味する。ましてや護衛艦のような大型装備であれば、その政治的意味は極めて大きく、日本が地域の軍事バランス形成に直接的に関与するというメッセージとして受け止められることになる。
輸出後の運用管理はどうするのか?
第三国への再移転をどう防ぐのか?
紛争時の使用制限は設けるのか?
国際法違反や人権侵害に使われた場合、日本政府は供与停止や返還要求を行うのか?
そして、それらの措置に実効性はあるのか?
──これらは、極めて重要な論点である?
にもかかわらず、日本では「同志国支援」という美名の下で、こうした責任論が後景に追いやられている。これは危うい。
平和国家の看板を下ろす覚悟はあるのか
日本は長らく「平和国家」を名乗ってきた。
もちろん、その内実に欺瞞があったことは否定しない。日本は日米安保の下で米軍の抑止力に依存し、自衛隊という実力組織を保持しながら、憲法9条の下で独特の安全保障体制を築いてきた。
しかし、それでもなお、日本が武器輸出に慎重であったことには意味があった。少なくとも、日本は紛争当事国に武器を売って利益を得る国家ではなく、軍事力の拡散に対して抑制的な姿勢を保つ国家であるという一線を、建前としてであれ維持してきたからである。
その一線が、いま崩れようとしている。
しかも問題なのは、その変化が堂々とした国家方針の転換として語られているのではなく、制度の運用見直し、例外拡大、個別案件の積み重ねによって進んでいる点である。
──まさに、なし崩しである。
本当に日本が防衛装備の輸出を拡大するというのであれば、政府は正面から国民に問うべきだ。日本は武器輸出国家になるのか。なるのであれば、どのような理念と基準に基づいて輸出するのか。防衛産業の利益、同盟国・同志国への支援、地域の安全保障、そして平和国家としての自己規定を、いかに整合させるのか。
これを語らずして、「防衛装備移転」「同志国支援」「海洋安全保障」という言葉だけで押し切るのであれば、それは国民に対する説明責任の放棄である。
日本政治の悪癖がまた出ている
結局、この問題にも日本政治の悪癖が表れている。
大きな政策転換を、小さな制度変更の積み重ねで進める。
国民に真正面から問わず、専門用語で包み込む。
反対論を「現実を見ていない」と切り捨てる。
そして、既成事実が積み上がった後で、「すでに現実は変わった」と言い出す。
──この構図は、憲法、安全保障、原発、財政、社会保障、あらゆる分野で繰り返されてきた。今回の中古護衛艦輸出も、その延長線上にある。
フィリピンを支援するなと言っているのではない。
中国の脅威を無視せよと言っているのでもない。
海洋安全保障の重要性を否定しているのでもない。
問題は、日本がどのような国家として、どこまで軍事的関与を拡大するのかを、国民的議論なしに進めていることにある。
中古護衛艦輸出は、単なる一案件ではない。
それは、日本が戦後維持してきた「武器を売らない国」という建前を、実質的に終わらせる可能性を持つ案件である。その重さを政府は本当に理解しているのか。そして国民は、その意味をどこまで知らされているのか。
この問いに答えないまま話が進むのであれば、日本はまた一つ、重大な一線を何食わぬ顔で越えることになる。それは、決して健全な安全保障政策とは言えない。
むしろ、平和国家の看板を掲げたまま武器輸出国家へと滑り落ちていく、極めて不誠実な政治の姿そのものなのである。