Introduction:28日、川崎市多摩区で起こった無差別殺傷事件「川崎殺傷事件」は日本社会を震撼とさせ、今もなお連日大きく報道されています。
このような社会的にインパクトを与える事件においては、得てして市民感情が過剰に噴き上がる傾向があります。
それは、被害者へ過剰なまでの哀れみ、被害者家族へ過剰なまの同情、そして、加害者家族へ過剰なまでのバッシングとなって現れます。
被害者や、被害者家族への過剰な哀れみや同情については、ある意味やむを得ないのかもしれませんが、加害者家族についてはどうでしょう?
容疑者が未成年ならともかく、職業不詳の引きこもりのような状態であっても成人であることには変わりません。家族の内実まで世間に晒されてしまう加害者家族にとっては、たまったものではない、というのが正直なところではないでしょうか。
今回は、世間を騒がせた大事件の加害者家族にフォーカスしたいと思います。
「お前はすでに死んでいる」と言われた、みのもんた
最近はTVで見かけることもほとんどないと思いますが、かつては「 1週間で最も多く生番組に出演する司会者 」として、ギネスにも認定されるほどの売れっ子司会者であった みのもんた氏でしたが、2013年に彼の息子が窃盗事件を起こしたことから世間からのバッシングを受け、レギュラー番組を降板したことがあります。
ただ、彼の息子はその当時でも30歳を過ぎた歴とした成人であり、社会的責任の全てはこの息子にあったのは疑いようもありません。だから、みのもんた氏は何ら社会的制裁を受ける必要もないし、ましてや番組を降板する必要もなかったはずです。
当初、みの氏もそういったごく当たり前と思われる主張を展開し、強気な姿勢を示しましたが、結局彼も世間の圧力に屈した形となり、番組降板に至ったわけです。
日本ではこの「世間」が、日本人のメンタリティー形成に一役買っているような気がします。
みのもんた氏の場合、息子が成人であっても、親としての責任追及から始まり、みの氏のセクハラ疑惑、不倫疑惑、政治家との癒着疑惑といった追求に留まらず、高額ギャラや鎌倉の豪邸までもがバッシングの対象になってしまいました。
これらのバッシングは、『週刊現代』(2013年11月16日号)の広告、「みのもんた、お前はすでに死んでいる」で頂点を極めた感があります。そして、このようなバッシング報道は世間の嗜好を如実に反映しており、同時に日本人の ”幼児性” を顕著に現す鏡なのかもしれません。
「加害者家族」が「被害者家族」になるとき
例えば「連続幼女誘拐殺人事件」の加害者、宮崎勤の家族は、その後どうなったのでしょうか?
宮崎勤には姉と妹がいました。
事件後、姉は勤め先のスーパーを辞職し、結婚も予定されていましたが自ら破談にしました。妹は看護学生でしたが、看護学校を退学しました。
父親にはいずれも会社役員をしていた二人の弟がいましたが、両名とも事件後に会社を辞職。下の弟は離婚にまで至りました。同様に、その他の親戚筋も事件後、勤め先を辞めざるを得ない状況に追い込まれています。
宮崎勤の父と母は離婚手続きをし(子供に旧姓を使わせるための配慮です)、母は姉妹と共に別の土地で暮らすことにしました。
父親は自宅を売却し、そのお金を4等分して被害者家族に賠償として送金しております。
そして最後に、高さ30メートル以上もある多摩川の橋の上から身を投げ、自殺しました。
この間、メディアはどのような取材を展開し、加害者家族である宮崎勤の親族にどのような圧力を掛け続けていたかは、もはや説明の必要はないかと思います。
生前、宮崎の父はこのように語っています。
「自分が嫌がらせを受けたり、苦しんだりするのは当然の罰だ。しかし、叔父や叔母、いとこは事件とは関係がないのではないか・・・」
殺人事件については、新聞で小さく報道されるようなケースであっても例外ではありません。
残された加害者家族は、事件から4年も5年も経った後でも、世間の目から逃れるような日々を送っている場合も少なくありません。加害者家族は笑ってもいけないし、泣いてもいけない。ましてや子供がいれば自殺もできない生き地獄だと言います。
それでも、日本人の心情としては「人殺しの家族ならばそれも当然!」と、内心そう思っている人も少なからずいるに違いありません。例えば、週刊誌などは、そんな人々の腹の中を覗き見させるメディアでもあります。
アメリカの「加害者家族」
日本の場合、ひとたび新聞沙汰になるような犯罪を起こせば、知名度に関わらず家族もバッシングの餌食になってしまいます。
では、以下の事例についてはどうでしょうか?
これは、実際にアメリカで起こった事件です。
『1998年、アメリカ・アーカンソー州の高校で銃乱射事件が起きました。
その際、州当局は事件の重大性を考慮し、報道に際しては加害者少年の実名、顔写真を公開しました。』
これが日本であれば、加害者家族のもとには連日連夜多くのメディアが押し寄せ、週刊誌や新聞でも大々的に取り上げられ、そして何よりも、匿名者から嫌がらせの脅迫電話や手紙が家族のもとに大量に殺到します。自宅も落書きや石を投げつけられるなどして、家族はもはやその地域に住むどころではなくなります。
ところが、アーカンソーの銃乱射事件では、そうはなりませんでした!
このとき、加害少年の母親に対してアメリカ社会がどのように反応したのか、ジャーナリストの下村健一が驚くべきリポートをしている。
鈴木伸元『加害者家族』(幻冬舎新書)
実名が報道されたことで、母親のもとにはアメリカ全土から手紙や電話が殺到した。手紙は段ボール2箱に及ぶ数だった。
だが、その中身は、本書でこれまで見てきたような日本社会の反応とはまったく異なっていた。加害少年の家族を激励するものばかりだったのだ。
TBSの「ニュース23」で放映されたリポートでは、少年の母親が実名で取材に応じ、顔を隠すことなく登場した。下村が、受け取った手紙の内容は何かと訊くと、母親は「全部励ましです」と答えたのだ。
下村は自身のブログでその手紙の内容をいくつか紹介している。
「いまあなたの息子さんは一番大切なときなのだから、頻繁に面会に行ってあげてね」「その子のケアに気を取られすぎて、つらい思いをしている兄弟への目配りが手薄にならないように」「日曜の教会に集まって、村中であなたたちの家族の為に祈っています」等々。
下村は、アメリカでの取材生活の中で「最大の衝撃」を受けたという。》
思考停止した人々が加害者家族を地獄に落とす
『加害者家族』(幻冬舎新書)は極めて興味深い書籍です。
筆者は鈴木伸元氏。NHKの報道番組のディレクター、プロヂューサーなどを歴任し、「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」の制作にも関わった経歴を持ちます。本書は、殺人といった事件を起こした犯人(加害者)の家族が、その後どのような人生を辿ることになったかを、つぶさに綴った貴重な記録です。
日本は先進国ですし、日本人は概して優秀で民度が高いとされています。このことは、東日本大震災における人々の冷静な行動が世界にも報道され、それが賞賛を受けたことからも垣間見ることができます。
しかし、それは本当なのでしょうか?
東日本大震災の時、東京の某所では鉄道の遮断機が下りたままとなり、何時間もの間 ”開かずの踏切” になっていました。当然、自動車は通ることができませんが、見通しの良い踏切でしたので、人は遮断機の棒の下をくぐり抜けることはやむを得ないと考えられました。
それでも、律義に開かずの踏切の前で何時間も待っている歩行者を、筆者は実際に目の当たりにしたのです。
また、 ”開かずの踏切” によって、道路は数キロにわたり数珠つなぎ状態になっていました。反対側車線はガラ空きなのに、Uターンして別の道を探索しようと試みもせず、ドライバーは数時間もの間、踏切が開くのを待ち続けていたのです。
私の見たところ、彼らはこの非常事態で「思考停止」に陥り、ただひたすら従順に大人しくしているだけだったのです。そして、だれか突破口を開く人間が現れれば、いとも容易く同調してしまうのではないかと思われました。
実際、筆者が踏切の下をくぐって線路を渡り始めると、人々はそれを真似してゾロゾロ付いてきましたし、「先にある踏切は当面開きそうにないから、Uターンして別のルートを探した方がいい」とアドバイスすると、多くのドライバーはそれに従ったのです。
この思考停止や、いとも容易く同調してしまうことと、メディアから発信されるバッシングの尻馬に乗ってしまう日本人のメンタリティーとは、本質的には同じものである気がします。
戦後、GHQの司令官として日本にやってきたマッカーサーは、次のような言葉を残しました。
「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。
しかし、日本人は生徒の時代で、まだ12歳の少年である。」
”みのもんた” に限らず芸能界の不祥事は枚挙に暇がなく、それを我々はバッシングし、同じ感覚で ”宮崎学” をバッシングすると共に、その身内親戚縁者まで巻き込んで ”吊るし上げる”
今回の川崎殺傷事件では、容疑者の名が ”岩崎隆一” であることが知れ渡ったかと思いきや、彼が伯父夫婦と暮らしており、伯父夫婦には二人の子供がおり(かつては岩崎容疑者と暮らしていた模様)、その家の写真は既に出回っており、ネットでは住所すら(地図付きで)知ることができるわけです。
伯父夫婦は既に今の住居を離脱したようですが、これからどうしたらと途方に暮れているでしょうし、彼らの身内も同様だと思います。
容疑者本人が袋叩きとなるのは仕方がないにせよ、しかし、岩崎容疑者は既にこの世の者ではありません。
彼の代わりにサンドバックになる者が不在であることが、最大の気がかりです。