白坂和哉デイウォッチ

稀勢の里は「神様」になれるだろうか

- 引 退 -
「一片の悔いもございません」
2019年1月16日
横綱 稀勢の里が引退を表明

横綱とは”神様”である

 「相撲では、横綱というのは神様と同じなんだ。」

 かつて、そのように語った力士がいました。彼はその後厳しい稽古に奮闘し、最終的に彼の言うところの「神様」に昇り詰めました。
 横綱とは成績を残すことは勿論のこと、その人間の品格や品位、人間性までも問われる極めて厳しい地位です。数百年もの間連綿と続く相撲の歴史の中で、公式に横綱となったのは僅か72人。ゆえに、その地位を「神様」であると考えたのでしょうが、晴れて横綱となった彼は果たして神様になることができたのでしょうか。

 ちなみに、この力士とは一体誰でしょう?
 それは、第64代横綱 曙太郎です。

 曙の取り口には様々な見方があろうかと思います。
 良く言えば真っ直ぐな、まさに直線的な相撲。
 悪く言えば、力任せの単純な相撲。とにかく当たって押して土俵際まで追いつめて、といった取り口を常に繰り返していたようにも感じられます。彼が四つに組んだ後、華麗な投げ技を放つといったシーンをあまり見たことがありません。

 不器用で大味な力士といった印象が拭い切れないのですが、しかし曙はそれで良かったのだと思います。ハワイに生まれバスケットボールなどに親しみ、角界とはあまりにも縁遠い世界にいた彼がこうして相撲の奥深さを実感し、横綱を「神様」と称える感性を持つに至ったわけですから。「寺尾」の突っ張りのような華麗で果敢な切れに欠けるとしても、初の外国人横綱を応援しようという気持ちにさせたものです。

人生のどん底を垣間見た稀勢の里

 2019年1月。最も若い横綱であった第72代横綱 稀勢の里は、人生のどん底を経験したことでしょう。
 進退をかけて臨んだ1月13日初場所初日では、小結 御嶽海に押し出しで敗れ、翌日には平幕 逸ノ城のはたき込みにあえなく土俵に転がされてしまいました。

 稀勢の里は2018年秋場所から7連敗を喫したことになり、これは15日制となってからのワースト・タイ記録です。
 横綱になって以来、初日黒星となった過去の5場所はすべて途中休場している稀勢の里。今場所も途中休場となる可能性が濃厚と言えます。絶体絶命の稀勢の里ですが、起死回生の策はあるのでしょうか?

その後の曙はどうなった?

 横綱時代以上に、横綱引退後の曙を評価することは可能でしょうか?
 引退後、彼は当時大変な人気を誇っていった格闘技、「K―1」に参戦したのは皆が知るところです。

 その時、彼は大きく変わりましたね。
 髪を金髪に染め、暴言をまき散らし、おまけにタトゥーまで入れてしまいました。悪役というより、むしろ悪党そのものになってしまったようです。

 横綱時代に培われた品位や人間性はどこに影を潜めたのか。そもそも彼には品位や人間性など備わっておらず、悪党でしかなかったのか。なんだか騙されたような気がしたものです。

 他の格闘家とは違い、角界出身の曙に対しては勝敗以上に望まれるものがあったはずです。
 それは誇り高き」格闘家であることです。

 タトゥーに見られるような彼の立ち振る舞いは相撲と決別する、つまりは過去と決別する一つの現れであると、曙はそう主張しました。
 しかし、彼は分かっていない。今まで何のために相撲をしてきたのか、彼は分かっていない。

 相撲が掲げる「心・技・体」には深い意味があります。
 相撲で身につけた人間性、強靱な肉体は相撲を引退した後にこそきっと役に立つ。そのような人間はどんな分野でもきっと成功者になれる。相撲とは人間修行の場でもあります。だからこそ「相撲道」
 ――そのことを曙は分かっていなかったのです。

稀勢の里は生きざまを示せ!

 完全に行き詰まった稀勢の里ですが、それでも、かつての曙が横綱を「神様」と見なしたような、高い志を持って欲しいと思います。無論、実際は横綱は神様ではないのですが、志は神様のごとく高くあって欲しいのです。

 初場所の4日目、5日目と、今の稀勢の里は負けてしまう可能性が高いと言えます。それでも彼は横綱として志を私たちに示さなければなりません。
 では、具体的に何をすれば良いのか。

 「それは、絶対に休場しないことです。」

 多くのファンが横綱昇進を期待していましたが、稀勢の里はそのような声援になかなか応えられずにいました。それでも、稀勢の里は奇跡的とも言える逆転優勝で横綱昇進を決めるなど、記憶に残る取り組みで多くの相撲ファンを魅了しました。プロの勝負師の世界は結果がすべてとはいえ、稀勢の里が見せたのは記録よりも記憶。つまり、生きざまに他なりません。

 相撲に限らず、私たちはTV画面の向こうに何を望んでいるのでしょうか?
 それは笑いであり、喜びであり、興奮であったりするでしょう。そのような中で最も価値あるのは「感動」ではないでしょうか。私たちは感動によって涙するのです。
 今の稀勢の里が感動を与えられるとしたら、それは生きざまをします以外にはありますまい。

 横綱の実績では白鵬を始めとする先輩諸氏に到底かなうはずもなく、また、現在の肉体的精神的状態からも今後の活躍に期待できる要素は少ないように思われます。
 そんな稀勢の里には仮に引退するにしても、誰もやり遂げていない形で引退して欲しい。それが「絶対に休場しない」ことです。

 横綱の体裁を体裁を繕うことなど、相撲ファンは誰一人望んでいません。また、15日間しっかり相撲を取り切って大きく負け越したとしても、威風堂々と引退した横綱は最近ではあまりお目にかかっていないように感じます。

 横綱が大きく連敗すれば大抵の場合”休場”となり、それが引退へと繋がることも私たちは目にしてきましたが、稀勢の里はそのような凡庸な辞め方はすべきでない。
 極端に言えば15連敗しても構わいとすら思います。全敗し、そこでしっかり”けじめ”をつけて引退すれば、それこそ拍手喝采です。

 誰もやっていない形で相撲に幕を引く。稀勢の里はぜひそうあって欲しい。
 これこそが彼の生きざま、宿命と言えるでしょう。

強い者が大関になる。そして、宿命のある者が横綱となる。

横綱 白鵬の言葉
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