白坂和哉デイウォッチ

アフターコロナ社会を生き抜くために① ~「護憲」を否定し「改憲」を笑え!

Introduction:現在のコロナ禍の中にあって、安倍首相のように憲法を変えよう!なんてナンセンスです。

その一方で、憲法を守ろう!なんて声高に叫ぶのは、実はさらなるナンセンスの極みなのです。

現在においては「護憲派」も「改憲派」も、状況認識を完全に誤っている意味において彼らは ”同じ穴の狢”、”憲法を食い物にする人種” です。

5月3日は憲法記念日でした。私たちは日本国憲法のあるべき新しい姿について、議論をスタートしなければなりません。

9条を守りぬくなんてナンセンスだ!

2020年5月3日に各新聞に掲載された『市民意見広告運動』の全面広告

『市民意見広告運動』なるものがあります(以下、「市民運動」)
毎年、5月3日の憲法記念日になると新聞1ページぶち抜きの「意見広告」を掲載する団体です。その主張するところは戦争反対であり、改憲反対であり、そして『憲法9条を守れ!』なのです。

ちなみに、今年の憲法記念日に際して新聞各紙に出されたのは『憲法の意思を変えるな!』と題された意見広告でした。

そこでは、森友加計問題や桜疑惑、そしてコロナ禍の陰で進行する種子法や水道法の改正といったように、安倍政権によるスキャンダルや法の改悪といった重要案件を指摘するなど、至極真っ当な主張が掲載されている一方で、『憲法9条』に関しては相変わらずの言説を展開しているわけです。

安倍首相による改憲の目玉は「憲法9条に自衛隊を書き込むこと」であることは確かにその通りなのですが、市民運動の面々は憲法に自衛隊を追記することは『「戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」を定めた憲法9条を無力化し、自衛隊を米軍と共に戦争ができる軍隊になる(日本が戦争のできる国になる)』ということを強く主張しているわけです。

思わず「はあ!?」と呆れてしまうのですが、この論を放つ前提として、なぜ日本では戦後75年にわたり戦争が起きなかったかの理由を、彼らはどのように捉えているのでしょうか?

なぜ日本では戦争が起きなかったのか?

憲法9条を擁護する護憲派は「日本には憲法9条があるから戦争が起きなかった」と本気で信じている者がいます。実に勉強不足ですし、憲法9条がもはや宗教のようになっているので、不都合な事実を見たくないのでしょう。

はっきり申し上げますが、日本で戦争が起きなかったのは「米軍が駐留している」からです。これが全てで、これ以上も以下もありません。
(※筆者は在日米軍を肯定しているわけではありません。念のため・・・)

日本の非核三原則が形骸化する中、沖縄や横須賀に核兵器が持ち込まれているのは間違いないと言われています。核兵器が持ち込まれ、全国至る所に基地が展開し、しかも首都にも基地が存在し首都圏の制空権をも握る在日米軍に牛耳られている日本という国を、一体どこのバカな国が戦争を仕掛けてくるのか、という話です。

しかも、アメリカは何も日本を守るために在日米軍を駐留させているわけではありません。東アジアのアメリカの戦略的拠点として、日本が地政学的に重要な場所に位置しているため、アメリカは長きにわたって居座っているのです。

国家とは唯一戦争をし得る ”装置” である

また、「憲法9条を変えることで戦争ができる国になってしまう」という理屈にも激しい違和感を覚えます。
では、「日本という国家」が戦争をしないのなら、一体どこの誰が、どの国が日本の戦争を肩代わりするのでしょうか? アメリカでしょうか? 違いますよね。

上記のような書き方をすると誤解を受けます。まるで日本が戦争をすることが前提であるかのように書かれているからです。

ここで言いたいのは「国家」とは、戦争というリスクに常に備えるべきだし、逆に戦争のリスクに備えられなければ、それはもはや「国家ではない」ということです。なぜなら、国家は国民の命と財産を第一に守るべきであるからですし、世界は決して平和ではなく、紛争の火種はどこにでもあるからです。

その意味では、戦力不保持を謳った憲法9条は平和という理想を追求している点は評価しつつも、一方で憲法9条に固執するのであれば日本は「国家」とは言えません。せいぜい ”宗教団体” といったところです。そして、現実的に国家のリスクヘッジを考えるならば、日本を宗教団体のままで留め置くことなど到底できないことは、もはや子供でも分かる理屈ではないでしょうか?

9条を変えたいなんてナンセンスだ!

そもそも自民党とは改憲政党であって、結党以来、様々な紆余曲折があったとはいえ改憲の欲望は変わってはおりません。そして、自民党にとっての憲法問題とはまさに憲法9条の問題であって、現在の安倍政権もまさに市民運動が指摘するように、憲法9条を変え自衛隊の存在を書き込もうとしています。

5月3日の讀賣新聞、憲法記念日特集の各党座談会に眼を転じてみると、衆議院憲法調査会の与党筆頭幹事である、新藤義孝氏が次のような発言をしています。

──9条はどう考えるか?
新藤氏 憲法には、誰が国と国民、領土・領海・領空を守るのか、一切規定がない。自衛隊を合憲と言い切る憲法学者は2割しかいない。自衛隊を憲法に明記すべきだ。

~2020.05.03 讀賣新聞 朝刊【特別面】~

ここで笑ってしまうのは、この期に及んでも自民党は憲法9条を改正し自衛隊を書き込もうとしていることです。

憲法9条を変えまいと頑なになっている護憲派も護憲派ならば、憲法9条に自衛隊を書き込もうとする改憲派も改憲派です。自民党の新藤氏は憲法9条に自衛隊を書き込めば、国民や領土・領海・領空を守れると本気で思っているのでしょうか?

というのも、憲法9条を変えて自衛隊を書き込んでみたとて何も変わらないし、極端に言えば、憲法9条を全面改訂しても自衛隊は実質的な国防軍にはなれないし、戦争すら満足に遂行できないからです。

理由は「憲法76条」があるからです。

憲法76条第2項による国防軍の制約

憲法76条
【司法権・裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立】
①すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
②特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
③すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

※特別裁判所の禁止
司法裁判所以外の「特別裁判所」を法律で設置することはできない。あらゆる法が最終的に単一の系列の裁判所によって適用され、法の下の平等が維持されるためである。したがって、設置できない特別裁判所とは、最高裁判所を頂点とする系列からはなれた、特定の種類の事件(例、明治憲法下の行政裁判所)、一定の身分の人(例、明治憲法下の皇室裁判所、陸・海軍軍法会議)についてのみ裁判権を持つ裁判所である。
~注釈憲法〔第3版〕(有斐閣新書)〔182-183ページ〕~
※太文字は筆者による

憲法76条の第2項を見ると、特別裁判所の設置が認められていないことが分かり、この場合の「特別裁判所」とは陸軍や海軍(もちろん空軍も含みますが)の「軍法会議」のことです。

このことはかなり ”致命的” と言えます。
というのも、仮に憲法9条に自衛隊を追記するということは、まさに国防軍になるわけで、それは軍隊であるがゆえに当然のこととして「軍法」も規定しなければなりません。

つまり、軍隊の処罰規定についての法体系を整備する必要があるということです。ちなみに、軍法に関して諸外国の場合は「ネガティブ・リスト」(~してはいけない)が基本になっています。これは禁止事項は何をしても良いということ。

一方、現在の自衛隊の場合、警察組織の延長として設立されたこともあり「~しても良い」といった「ポジティブ・リスト」が基本になっています。これは許可されていないことは一切してはいけないことであり、これが自衛隊海外派兵の際には大きな障壁になっていることは容易に想像がつくでしょう。

よって、自衛隊が国防軍に昇格した際には、これまでとは真逆の規定を軍法として新たに作り直す必要が生じるわけです。

しかし、憲法76条を見ると、軍法とペアであるはずの「軍法会議」という特別裁判所は設置してはならないと規定されています。これでは完全なる片手落ち、軍の行動規範が完全に担保することはできなくなります。

このままでは、例えば、日本の領空を侵犯した相手国の戦闘機と交戦状態になり、相手国のパイロットを攻撃によって死亡させた場合、軍法に疎い一般裁判所の一般裁判官によって「殺人」の判決さえ出されかねないことを示しています。

アメリカの対日戦略

アメリカには共和党、民主党に関わらず、戦後から一貫した対日戦略が明確に存在します。

この2つの対日戦略を実現するための方策の一つが「日本国憲法」だったりするわけです。そして今、こうして見てみると、日本国憲法は世界に誇れる平和憲法というよりは、アメリカが日本を封じ込めるという意味において、大変よくできた憲法と言わざるを得ません。

憲法を食い物にする連中

憲法9条を守ろう!と叫ぶ護憲派

こうしてみると、憲法9条を守ろう!と叫ぶ護憲派は、平和を語りながら実は日本のリスクにはまるで無関心、あるいは向き合う気もなく、彼らの行動は自己満足の域を出ることは決してありません。

今回紹介した『市民意見広告運動』なども矛盾の塊です。彼らは「いかなる政党・政治団体にも属していない市民運動」であることを標榜しておきながら、その一方で「私たちには主権者として政治家を選び、政治を変える権利がある」とも言っています。

彼らは知っているはずです。本当に政治を変えたいのであれば、彼らの中から政治家を誕生させなければ、到底政治など変わらないということを──
彼らのやるべきことは、馬鹿高い広告費を払って新聞に意見広告を出すことではなく、そんなお金があるなら政治団体を組織し、一人でも多くの政治家を世に送り込むことです。

しかし、それをやらない市民運動家とは、自分たちは安全な高いところにいて決して当事者になることはなく、お金を集めて何か政治的なことを訴えていることに安心し、政治に無関心な連中と自分たちは違うのだと再確認することで自己満足を得ているだけの存在なのでしょう。

憲法9条を変えよう!と叫ぶ改憲派

同様に憲法9条を変えよう!と叫ぶ改憲派も、日本を守ると言いながら自衛隊のリスクにはまるで無関心、あるいは向き合う気もなく、彼らの行動は自己満足の域を出ることは決してありません。

特に歴代の首相の中でも群を抜いて憲法改正に執念を燃やす安倍首相などは、実に酷い有様です。というのも安倍首相は安全保障関連法によって「集団的自衛権行使の容認」や「外国軍の後方支援の拡大」、そして「駆けつけ警護」までも既に可能としている、つまり憲法9条を骨抜きにしているのです。

それでも安倍首相は「時代にそぐわない部分は改正をおこなうべきだ」として憲法9条の改正に檄を飛ばしています。

しかし、憲法9条の改正は、今となってはセレモニー的な意味しか残っておりません。

そして、憲法改正で最も利益を受けるのは主権者の国民ではなく、実は安倍首相本人です。
岸信介の孫、安倍晋太郎の子といった政治エリートの家系に生まれ、自身は学業は芳しくはなく、祖父や父は東大卒ですが安倍首相はエスカレーター式で私立の大学をかろうじて卒業したに過ぎません。

政治家としての知識も乏しく、頭の回転も悪い。喋らせても活舌が悪く、言葉も空虚で人の心に響かない。しかも、第1時政権では腹痛で首相を辞任するといった、歴史に残る大失態も冒している。

そんな出来損ない政治家が起死回生を図るとしたら、やることは「2つ」しかありません。
──歴代のどの首相よりも長くやること。そして、歴史に残る事をやることです。

一つ目は、今年の8月には結果がでます。名実ともに安倍首相以上に長く務めた首相は存在しないことになります。これで憲法改正も実現させたら、安倍首相の人生はパーフェクトでしょう。歴史教科書の扱いも誰よりも格別、まさに偉人の仲間入りを果たすことになります。

憲法改正とは、誰も利さない、誰の益にもならない、安倍首相のマスターベーションでしかないのです。

今こそ日本人によって新しい憲法をつくるべき!

護憲派も改憲派も ”同じ穴の狢” であり ”憲法を食い物にする人種” であることが分かりました。そして、仮に最も焦点となっている憲法9条を改正したとて、自衛隊は国防軍(いわゆる軍隊)として機能しないだろうということも分かりました。

これはとりもなおさず、日本国憲法というものはアメリカが日本を統治するための仕組みであって、日本や日本人を利するための憲法になっていないためです。よって、憲法改正といったレベルの行為をいくら繰り返しても、事態は全く変わりません。

では、私たちはどうすれば良いのでしょうか?
──そうです。日本人の手で「新しい日本国憲法」を一からつくるしかないのです。

世界中の人々が、新型コロナが収束し「早く元の生活に戻りたい」と願っています。しかし、残念なことに、もはや元の生活に戻ることはできないと筆者は考えています。なぜなら、今回の新型コロナウイルスにより「政治」「経済」「社旗」、そして「安全保障」の在り方まで、コロナの影響で根底から変わらざるを得ないと考えるからです。

私たちの働き方、例えば「テレワーク」一つとっても、コロナ終息と共に無くなるとは到底思われません。このように、私たちの身近なところでは働き方や、コミュニケーションの作法や行動パターンまで、新型コロナによって大きな変化を余儀なくされているいるわけですから、今後さらに大きな生活様式の変化が起きると見て間違いありません。

したがって、新しい変化、これは価値観のパラダイムシフトと言っても過言ではありませんが、それに見合った憲法も当然必要とされるでしょう。

日本国憲法の「三原則」

日本の新しい憲法といっても、今ある日本国憲法の三原則、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」は今後も引き継がれなくてはなりません。

しかし、この「三原則」については、次のような ”注文” をつけることも可能です。

「国民主権」については、憲法前文にも「ここに主権が国民に存することを宣言し・・・」と述べられており、明治憲法の天皇の大権は否定されています。
ではなぜ、憲法の第1章は天皇の記述から始まるのでしょうか?

「基本的人権の尊重」について、自民党が画策するような「緊急事態条項」を憲法に組み入れるとしたならば、基本的人権はどこまで担保されるのか? また、どういった条件の場合に人権は制約されるのか? 新型コロナウイルスによる世界各国の動向から学んだことも踏まえ、大いに議論する必要があります。

「平和主義」は日本にとって最も重要な概念となります。それは在日米軍との関係に決着をつける必要があるからです。日本全土に広がる米軍基地をどうするのか? 日米安保と日米地位協定の在り方、そしてそこから派生する膨大な思いやり予算の今後の行く末など、これまで経験したことのない深いレベルでのアメリカとの交渉が必要になります。

そして、「憲法9条」についてはもちろん、一旦ゼロベースに戻してから再構築することになります。


このような指摘はこれまでタブー視されており、誰も公には指摘しませんでした。しかし、新しい日本国憲法をつくる際には絶対に避けては通れない道となります。

新型コロナウイルス終息後、憲法を見直し改正する国が必ず現れるでしょう。そのような潮流の中で、日本はどのような立ち振る舞いをするのかが重要となります。日本が先陣を切り世界をリードするのか、あるいはこれまで同様、指をくわえて世界の動きを眺めて終わるのかということです。

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