白坂和哉 デイ ウォッチ

なぜ安倍首相は長期政権を築くことができたのか?~悪運? 安倍首相の謎に迫る

Introduction:8月24日。安倍首相の連続在職日数が「2799日」となり、佐藤栄作・元首相を追い抜いて歴代最長となりました。

こうして安倍首相は、憲政史上最長の「約7年8カ月」もの間、首相として君臨してきたわけです。

なぜ、安倍首相はこのような長期政権を築くことができたのか?
様々な見方がありますが「選挙」「人事」そして「悪運」が挙げられるでしょう。

そんな安倍首相ですが、最近では健康不安説が取りざたされ、政権を維持する気力も体力もすっかり失っています。

国政選挙に6連勝した安倍首相

2017年7月1日、東京都議選の最終日。
この時の選挙戦を通じて安倍首相が唯一行った街頭演説は、東京・秋葉原で行われました。当時、”都議会のドン” として一躍悪名が轟いた内田茂氏の後継、中村あや氏の応援演説です。

なぜ、安倍首相はこの秋葉原の地を選んだのか?
それは鮮やかな成功体験があったからです。2012年12月、麻生太郎氏と二人並んで立った秋葉原の街頭演説では「総裁!総裁!」「麻生!麻生!」といった聴衆からの声援が鳴り止みませんでした。そして、自民党は晴れて民主党から政権を奪還したのです。

しかし、この2017年の都議会戦ではまるで勝手が違いました。この年に発覚した「森友問題」が大きく影響したために、声援のコールどころか殺気立った群衆からの「安倍やめろ!安倍帰れ!」の連呼の嵐となり、マイクを持つ声がまるで聞こえない状況となったのです。

これにブチ切れた安倍首相が思わず発した「私たちはこんな人たちに負けるわけにはいかない!」は、その後も語り草となるほどの ”迷演説” となりました。

この都議会戦で自民党は歴史的大敗を喫しましたが、それでも安倍首相は「国政選挙に関しては極めて強かった」と認めないわけにはいきません。というのも、2012年9月に自民党総裁に返り咲いて以来、安倍首相は国政選挙で「6連勝」を続けているからです。

「衆院選で3回の勝利、参院選でも3回の勝利」
政治家にとって選挙こそが全てである以上、これだけの連勝を誇れば文句を言う者など誰もいないのです。

そして、選挙に強いということは解散のタイミングも絶妙だったことを意味しています。ちなみに、衆院選は来年夏で任期満了を迎えますが、安倍首相はこのまま解散もせずに座して待つつもりなのでしょうか?

巧妙な人事と ”官邸官僚”

例えば、前総裁の谷垣禎一氏や、二階俊博氏の幹事長の起用だ。重鎮2人は党内の「安倍おろし」封じ込めに大いに役立った。リベラルの谷垣氏、親中派の二階氏とは必ずしも主義・主張が一致しないが、自身に近い萩生田光一、稲田朋美両氏らを幹事長代行に就任させ、バランスをとった。

要所に二階氏や菅義偉官房長官ら“こわもて”を置いたことで、第1次政権とは異なり「『逆らえばどうなるか分からない』という非情さをうまくにおわせている」(周辺)との指摘もある。

2020年8月23日 産経新聞 THE SANKEI NEWS 「首相、長期政権築いた人事、参院、勝負勘」

二階俊博氏や菅義偉氏といった ”こわもて” を配置することで『逆らえばどうなるか分からない』といった雰囲気を醸成したとは、なかなか面白い見方です。

筆者はそれ以上に、首相官邸による権力の集中を安倍長期政権の要因として考えています。その原動力となったのが ”官邸官僚” の存在です。

官邸官僚は各省庁から首相官邸へ出向してきた者たちですが、「政治主導」の名のもとに省庁の垣根を超え、事務次官をも動かすほどにスーパー官僚化するなど、権力の源泉として機能しています。彼らの出現によって、各省庁は骨抜きにされてしまった感があります。

では、そんな状況に霞が関省庁は立ち向かったのかといえば、実態はまるで逆で、むしろ首相官邸に擦り寄る動きを見せたというのは、実に嘆かわしい限りです。霞が関の主流派としては義憤に駆られて抵抗するより、首相官邸の意向に沿た方が出世できると踏んだからです。

そして、安倍政権による信賞必罰は実にシスティマチックに行われました。つまり、安倍政権の言うことを聞いたものは出世し、歯向かったものは飛ばされる。これが厳格に行われました。公文書改ざんといった重罪を冒してまで政権を守り、その後に出世した佐川宣寿など、その典型事例として挙げられるでしょう。

官邸官僚は大きな問題を孕んでおり、官邸官僚が暴走した時にチェックする機関がないということは、極めて由々しき事です。これはコロナ対策に如実に表れています。悪名高い ”アベノマスク” や国民的なひんしゅくを買った ”貴族動画” などは官邸官僚の入れ知恵と言われています。

”悪運” だけは強かった安倍首相

安倍首相の ”悪運” と言えば、やはり2017年の衆院選でしょう。

安倍首相は取って付けたような ”北朝鮮危機” を引き合いに出し、『国難突破解散』と銘打って衆議院を解散したわけですが、もちろん『国難突破解散』などといったキャッチコピーは目くらましに過ぎませんでした。その実態は『森友・加計疑惑隠し解散』だったことは誰の眼にも明らかだったのです。

この時は東京都知事の小池百合子氏が「希望の党」を立ち上げており、あわよくば ”小池首相” が実現する寸前のところまで政局が揺れ動いた時期でもありました。しかし、小池氏の不要な「排除発言」により実態は一変。野党は分裂し、安倍首相に思わぬ勝利が転がり込んできました。この「排除発言」さえなければ、今頃安倍首相はその座を奪われていたかもしれません。

さらに、安倍首相にはあまり知られていない、根源的な ”悪運” が過去にあります。

総裁返り咲きこそが最大の ”悪運” だった

2012年9月の自民党総裁選には安倍晋三のほか、石破茂、石原伸晃、町村信孝、林芳正ら5人が出馬しました。
安倍晋三は過去に政権を放り出した経緯から、有力候補どころか ”泡沫候補” ぐらいにしか思われていませんでした。

当時、安倍晋三を支持したのは麻生太郎、甘利明、菅義偉、下村博文、稲田朋美、世耕弘成、古屋圭司といった、現在の安倍首相のトモダチといった面々です。彼らぐらいしか安倍晋三を支持する者はいなかったわけで、後見人の森喜朗ですら石原伸晃を支持していたぐらいです。

また、安倍晋三の出身派閥の清話会(当時は町村派)から派閥の長である町村氏が出馬しているということで、安倍晋三は自身の派閥からの支援も全く期待できなかった状況でもあったのです。

しかし、ここで神風が吹きます。
なんと、総裁選の最中に町村氏が脳梗塞で倒れるというアクシデントが起きたのです。これで事実上、町村氏は総裁への芽を摘まれます。そして、町村氏が倒れたことで町村派は動揺し、かなりの議員票が安倍晋三に流れ彼は2位となって決選投票に進むことができたのです。

決選投票の相手は石破茂。しかし石破は過去に自民党を離党(改革の会 ⇒ 新進党)した過去があり、ベテランを中心に自民党国会議員から評判が悪い。結局のところ、自民党は ”次善の策” として安倍晋三を選んでしまったわけです。

安倍首相の側近の一人は、町村氏の脳梗塞がなければ再登板はあり得なかったと今でも語っています。

後継者を育てられない安倍首相

安倍首相については「他に適任者がいない」といったことをよく耳にします。明らかな詭弁ではありますが、これは一重に安倍首相が後継者を育てようとしないことに起因しています。

佐藤栄作政権の「三角大福中」や中曽根康弘政権の「安竹宮」などのように、首相というものは必ずライバル通しを競い合わせ、切磋琢磨させる中で首相としての適任者を発掘してゆくものです。しかし、安倍首相はそのような後継者を育てることにまるで無関心です。

安倍首相はできることなら岸田文雄・元外務相に首相の座を禅譲したいようですが、その岸田氏とて安倍首相が育てた人材かという言えば全くそうではありません。安倍首相のイエスマンで、安倍首相が首相辞任後に ”院政” を敷かせてくれる都合の良い相手でしかありません。

どうやら、安倍首相自身、健康不安から辞めたがっているふしがあり、周囲がそうさせないといった話も漏れ聞こえてきます。これも一重に後継者を自ら育ててこなかったからであり、自身の辞任のタイミングすら土壇場にきて図りかねているあたり、そろそろ安倍首相の ”悪運” も尽きてしまったのかもしれません。

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