『AI vs 教科書が読めない子どもたち』
人工知能の実現には2つの方法論があります。逆に言うと2つしか方法論はありません。一つは、まず人間の知能の原理を数学的に解明して、それを工学的に再現するという方法でしょう。もう一つは、人間の知能の原理はわからないけれど、あれこれ工学的に試したら、ある日、「おやっ!いつの間にか人工知能ができちゃった」という方法です。
前者は原理的に無理だと、多くの研究者が内心思っています。なぜか。人間の知能を科学的に観測する方法がそもそもないからです。自分の脳がどう動いているか、何を感じていて、何を考えているかは、自分自身もモニターできません。文を読んで意味が分かるということがどういう活動なのかさえ、まったく解明できていないのです。
新井紀子『AI vs 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新聞社)
AIは神にはならない!?
2018年2月23日の東京新聞「本音のコラム」では、元外務省主任分析官・佐藤優氏が、実に刺激的な書籍を紹介しています。
「シンギュラリティ」と題されたコラムの中で紹介されているのは、冒頭の『AI vs 教科書が読めない子どもたち』。著者は国立情報学研究所教授・社会共有知研究センター長の新井紀子氏です。
AI(artificial intelligence)についての認知度が急速に進んできた昨今において、巷に流布している”AI神話”なるものを見事一刀両断しているのが本書の何よりの特徴であると言えます。このことは、帯に記された3つのフレーズが如実に物語っています。
- 「AIが神になる?」
⇒ なりません! - 「AIが人類を滅ぼす?」
⇒ 滅ぼしません! - 「シンギュラリティが到来する?」
⇒ 到来しません!
AIは神にはならないし、ましてや人類を滅ぼしもしない。
つまりそういったシンギュラリティはやって来ない。
なぜなら佐藤優氏も触れているように、AIとはコンピューター(電算機)であり、電算機が担うことができるのは「論理」「確率」「統計」だけだからです。
どのようなコンピューターであれ、本質的にはこの3つの機能の中で動作しています。
技術的特異点はやって来ない!?
ここで登場した言葉の中で、「シンギュラリティ」なるものがあります。
直訳すれば「奇妙」「異常」「非凡」といった意味になりますが、一般には「技術的特異点」と訳されます。
つまり、AIが神のような判断を下したり、人類存続の脅威となるといったように、コンピューターに象徴されるテクノロジーが人類全体の能力をはるかに超え、それ以降の進歩を予測できなくなる ”地点” を指します。
ただし、新井紀子氏に言わせれば今現在、厳密には ”AI技術” は存在しても ”AI” は存在していないそうです。
AI(人工知能)というからには人間と同等レベルの知的水準を期待しますが、コンピューターが未だ電算機の域を超えておらず、人間の知的活動を数値化するのも到底不可能であるために、現在世間で飛び回っているAIについての成果は、正確には”AI技術”の成果に過ぎないということです。
よって、技術的特異点が出現し、真の意味でのAIが登場するのは遥か未来の話というところに着地します。