白坂和哉デイウォッチ

歴史認識とマニアックな右翼たち

国際政治の中では歴史は存在しない

まず歴史について、ひとくさり語ってみたいと思う。

世の中には多くの「歴史好き」がいる。書籍では歴史小説というジャンルもあるし、歴史雑誌なども書店に並んでいる。テレビでは歴史を扱ったドキュメンタリーが放映され、NHKの大河ドラマなどは、ほとんどが歴史もので埋め尽くされている。

「歴史」とは、過去に起こった事例の集積であり、それが既に起こってしまったがゆえに動かし難く、厳然たる事実として存在している・・・かに見える。

しかし、国際政治の中では、歴史は存在「しない」のだ。歴史とは、特定の事象が本当にそうだったか否かではなく、どのように「認識されているか」である。

例えば、昔起こった○○戦争の犠牲者は、実際は500人程度だったとしても、当事者らの共通認識が50万人であれば、それは「50万人」と歴史に記録される。

国際政治の中の歴史とは、「事実(FACT)」ではなく「認識(Recognition)」なのだ。だから、国際政治の場で真実を求めるのは、悪いことではないが、ほとんど意味がない。

ここから導き出されるのは、「正論」という概念の消失だ。「正しいことほど強いものはない」という言葉は、ある意味、正論のように思われるが、国際政治の場では実にナイーブ(甘くて、世間知らず)な言葉だ。だから、国際政治の場で正論を追及しても何の成果も上げられないのだ。

歴史とは過去を知ることではない。未来を捏造することだ。

ここで、日本に眼を転じてみる。

最近になって、実は憲法よりも優先されることが、一般にも徐々に認識されるようになってきた日米同盟。

その日米同盟があるがために、沖縄のみならず日本中いたることろに在日米軍基地が ”固定化” されている。そして、それと歩調を合わせるかのように、国際社会においては「歴史認識」も固定化されている。

先日、映画『主戦場』に絡めて従軍慰安婦の問題にも触れたが、この慰安婦ひとつにしても、これを否定することは ”歴史修正主義者” として海外から、特に戦勝国からそう見なされる。

ここでは、従軍慰安婦が存在したか否かについては、もはや問題として扱われていない。無論、中国や韓国によるプロパガンダに因るところもあるが、従軍慰安婦問題については、国際政治の場においては既に決着がついている。

つまり、「従軍慰安婦は確かに存在し、約20万人もの女性が犠牲になった」ということ。――そのように「認識」されている。

これが結論なのである。
日本がいくら本気になってこれを覆そうとしても、仮に誰もが認めざるを得ない、決定的で新しい証拠が出てきたとしても、この結論は絶対に覆らない。
これが国際政治の正体である。

なぜなら、歴史は戦勝国がつくるからである。

この ”歴史は勝者がつくる” という慣習は、古代人類のときからそうであったし、もちろん日本とて例外でない。日本人の好きな戦国時代についても、戦勝者によってかなり脚色されているので、実際のところはどうだったのかは誰にも分からない。日本人がそうだと認識している ”歴史的事実” を元に、我々は歴史小説や大河ドラマを楽しんでいる。

その意味において、国際政治における歴史とは、過去を調査や勉強などで「知った」ことではなく、来るべき未来に向けて「捏造した」結果であることが分かる。これが歴史の本質である。

そして、これを覆すには(つまり、歴史認識を変えるには)、次の世界大戦において戦勝国側に立っていなくてはならないのだ。

右翼の欺瞞が透けて見えるとき

従軍慰安婦については、この存在を否定する勢力が、この国には一定数存在する。その一端が映画『主戦場』で一般にも可視化されたわけだが、そんな彼らについて日頃から疑問に感じていることがある。

従軍慰安婦の存在を否定する者たちを、ここでは便宜的に「右翼」と呼ぶ(もっとも、 ”便宜的” である必要はないかもしれないが)

右翼は皆一様に「愛国心」を唱え、美しい日本や、日本の独自性や特殊性を蝶々するが、例えば、沖縄を中心に日本のいたるところに固定化されている「在日米軍基地」について、首都圏の制空権を一手に握って離さない在日米軍について、一体彼らはどのように考えているのだろうか?

右翼の面々が、米軍基地について大規模に抗議活動を行ったというのはついぞ聞いたためしもなく、なぜ彼らがこの問題について沈黙していられるのか、不思議でならないのだ。

従軍慰安婦は過去の問題であるのに対し、在日米軍基地は現在進行形の問題である。
右翼が「美しい国」を求めるのであれば、それを毀損する原因の一つ、特に沖縄辺野古基地建設などは、美しい国の風景を著しく汚しているにも関わらず、なぜ彼らは動こうとしないのだろうか?
もしかすると、沖縄を日本の一部として見なしてないのだろうか?

右翼の主義、主張、思想が一部のインナーサークルに留まり、一般の国民へとなかなか広がってゆかないのは、以上に挙げたような右翼の ”欺瞞” が透けて見えるからではなかろうか。

敵に媚び売る熱狂家

先般のトランプ大統領来日の際、面白い光景に出くわした。両国国技館での相撲観戦が終了し、大統領が会場を後にしようとした際、トランプらの様子を見たTVのアナウンサーがこう言った。
「トランプ大統領が、一般のお客さんと握手を交わしてます! 」

見れば、櫻井よしこ氏、 門田隆将氏、金美齢氏らが喜々として観客席から身を乗り出し、トランプと握手しているではないか。
特に、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、 映画『主戦場』 に「従軍慰安婦など存在しなかった」立場で出演していた、著名な保守派の論客である。

なるほど、彼女、あるいは上述した彼らは一般人には違いないだろうが、正確には ”マニアック” な一般人と言う他あるまい。

従軍慰安婦を肯定しようとしまいと、それを脇に置いたとしても、美しい日本、特別である日本を礼賛し、何よりも日本を蹂躙する存在を許さないはずの「愛国者」である彼らが、なぜゆえにアメリカ大統領に対し、こうも媚びへつらわなければならないのか?

ここでいう ”マニアック” とは、なにも ”オタク” のことではない。 狂人的熱狂家として使わせてもらっている。

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