Introduction:2019年1月20日の東京新聞、文化娯楽面 ”つれづれ” に「福島わらじまつり改革」と題された興味深い記事が掲載されました。
福島県福島市で毎年夏に開催される「福島わらじまつり」は毎年30万もの来場者があるものの、福島以外の人々にはほとんど知られておりません。それでも、地元密着型、ジモティーのための祭りとして親しまれてきましたが、東日本大震災以降、改革の必要に迫られてきたようです。
今回、祭りのプロデューサーとして、改革の旗振り役に指名されたのは音楽家の大友良英(おおとも よしひで)氏。
この名前にピンとこない方でも、NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』と言えば誰もが知っているでしょう。
そう、大友氏は『あまちゃん』のテーマソングを始め、番組本編のサウンドトラックを作曲した音楽家なのです。
◆周辺のおすすめランチとホテルの情報はこちら
⇒ 「福島わらじまつりの2019年の日程は? 周辺のおすすめランチとホテルは?」
「福島わらじまつり」って、どんな祭り?
「福島わらじまつり」とは、福島県の県北に位置する、県庁所在地でもある福島市で毎年夏(8月初旬)に開催される祭りです。
1970年(昭和45年)、 福島市と福島商工会議所が市民の健脚を願って 開催されたのが始まりです。そして、2019年は第50回の節目の年となります。
日本一大きいとされる「大わらじ」を担ぎ、福島駅前の市街地を練り歩くのが最大の特徴です。
2018年までは「わらじ音頭」にのせて踊る盆踊り風の「わらじおどり」、サンバをモチーフにした楽曲で踊る「ダンシングそーだナイト」、わらじ型の押し車や山車を引いてタイムを競う「わらじ競争」といったイベントを行っていました。
2019年からはプロデューサーに音楽家の大友良英氏(※)を迎え、音楽、衣装、振り付けといった祭り全体を一新しました。
※NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』のテーマ楽曲を作曲された方です。
「福島わらじまつり」の由来は江戸時代から300年以上も続く「信夫三山暁まいり」です。
旧正月14日(2019年の場合、2月18日)に片方の大わらじを奉納(信夫三山暁まいり)し、8月にもう片方の大わらじを奉納します。8月の祭りが「福島わらじまつり」と呼ばれ、この時に日本一の大わらじを福島市の信夫山にある羽黒神社に奉納します。
また、「福島わらじまつり」は2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、青森県の「ねぶた祭」や宮城県の「七夕まつり」と並ぶ 東北六魂祭(とうほくろっこんさい)にも数えられるようになり、以来、東北六魂祭 は東北6県都で持ち回り開催されるようにもなりました。
※その後、東北六魂祭 は2017年(平成29年)より、「東北絆まつり」へと引き継がれました。
( 東北六魂祭 )
青森県 青森市 | 青森ねぶた祭 |
岩手県 盛岡市 | 盛岡さんさ踊り |
宮城県 仙台市 | 仙台七夕まつり |
秋田県 秋田市 | 秋田竿灯まつり |
山形県 山形市 | 山形花笠まつり |
福島県 福島市 | 福島わらじまつり |
なぜ「福島わらじまつり」に改革が必要なのか?
それではなぜ、「福島わらじまつり」に改革が必要になったのでしょうか?
冒頭の東京新聞の記事の中で、大友氏が重要な発言をしています。
「六魂祭」や「絆まつり」の場で、「ねぶた祭」「さんさ踊り」「花笠まつり」といった歴史もパワーも圧倒的な他県の祭りと比べられ、当事者たちの心中もおだやかではなくなってしまったのだ。
つまり、大友氏は「福島わらじまつり」が他県のメジャーなそれと比較するとちょっと見劣りするかなあ・・・と思っているわけです。このことは、「歴史も50年と新しく、音楽も歌謡音頭に始まりサンバやヒップホップまで取り入れている。正直、私の目には微妙な祭りとして映っていたが・・・」といった発言にも見て取れます。
このことは「福島わらじまつり」がローカルな規模に留まり、 「ねぶた祭」や「さんさ踊り」のような全国区に成長していないことを意味しています(少なくとも大友氏はそのように感じていますし、この点については福島県福島市出身の筆者も同感です)
これまで様々な工夫を凝らし、「福島わらじまつり」を盛り上げようと尽力してきた主催者にとってはつらい現実でしょう。また、福島原発事故後の復興のシンボルとして、福島県の県庁所在地である福島市が先陣を切って六魂祭を盛り上げねばといったプレッシャーもあるのかもしれません。そのような事情が、大友良英氏を「福島わらじまつり」改革の旗手として招いたのだと考えられます。
「福島わらじまつり」はどこへ向かうのか?
”シャッター通り”といった言葉に象徴されるように、福島駅前商店街は他の地方都市と同様に、平成となってから衰退し始めました。
かつてはとても活況を呈していましたが、平成の時代が進むにつれ、訪れる人々の数は年を追うごとに減少してゆきました。駅前には5店舗ほどのデパートがありましたが、現在は老舗の「中合デパート」がかろうじて存続している状態です。
なぜそのようなことになってしまったのでしょうか?
東日本大震災の余波で人口が激減したからでしょうか。いや、そんなことはありません。確かに、東日本大震災後は一時的に人口の減少傾向が見られましたが、その後は回復し、現在は約30万人規模で横ばい状態です。
実は人口が減ったのではなく、人の流れが大きく変わったからだと考えられます。これに関しては、次の2点をポイントとして押さえておく必要があります。
1点目は「福島西道路」の開通。
2点目は「高速バス」の出現です。
①福島西道路が人々を拡散した
福島西道路は1987年に工事が着工し、1997年に開通した福島市街地のバイパス道路です(現在は二期区間の計画が進められています)
福島市には主要幹線道路として、宮城県仙台市へと向かう国道4号線が市内を横断しています。ただ、米沢方面に場合は向かうに場合には、福島駅前の中心部から外部に伸びる国道13号線を経由する必要があるのですが、13号線はたびたび大渋滞が発生しておりました。
そのような渋滞緩和や防災道路としての機能、さらには福島市内の環状道路整備の必要性から、福島西道路の建設が進められたわけです。
確かに、西道路の開通により13号線の渋滞は緩和され、交通の流れは従来よりも改善されましたが、一方で思わぬ副作用をもたらしました。
それは、これまで駅前に集中していた買い物客を中心とする人の流れの変化、つまり、都市部のベットタウンに見られるような郊外型大型店舗が西道路沿いに建設されたことにより、人の流れが拡散されたことです。特に市内矢野目地区では、イオン福島店を中心に郊外型の大型店舗が立ち並ぶようになり、さながら一大商業地区の様相を呈しています。
福島市は車社会でもありますから、大型駐車場を完備したこれらの地域に人々が向かうのは当然と言えます。
特に正月元旦などは買い物客で賑わい、1500台を収容できる駐車場が完全に埋め尽くされた光景を、筆者は実際に目撃したことがあります。
②高速バスが人々を越境させた
話はそれだけに留まりません。
福島市の中心地は福島駅前であり、これまでは街に出かけるということは福島駅前に出かけることを意味していました。しかし、そのような人々の行動をエンパワーさせるものが登場しました。それが「高速バス」です。
先ずは上の画像に目を通してください。
現在、福島市を起点とした高速バス網はご覧の通り、北は仙台、西は新潟、そして南は大阪・京都まで拡大している様子が見て取れます。そして、今回注目すべきは「福島 ⇔ 仙台」間のルートです。
高速バスについては、平成になってからの1992年に大阪まで路線が拡大され(福島交通)、以来、県内の主要都市や仙台、首都圏にも路線網が拡大されました。
そして、現在の 「福島 ⇔ 仙台」については「福島交通」を始め、「宮城交通」「JRバス東北」が事業参入し、実に平日24往復、土日祝日に至っては27往復もの路線網が確立されるに至っているのです。
このことからも明らかなように、これまで福島駅前で留まっていた買い物客が、高速バスによって仙台まで足を延ばしているといった実態が浮き彫りになるのです。
高速バスの 「福島 ⇔ 仙台」間の所要時間は「1時間10分」、料金は「1,100円」となっており、市内のタクシー初乗り運賃が中型「520円」、小型「510円」であることを考えると、破格の料金と言えるでしょう。
つまり、福島市の買い物客は今や仙台まで越境し、さらには娯楽拠点としても仙台が視野に入っていることでしょう。このことが閑散とした駅前や、「福島わらじまつり」が ”全国区” に成長しない要因の一つになっているのではないかと考えられるのです。
まとめ:「わらじまつり」に高速バスを活用しよう
さて、「福島わらじまつり」に話をもどしましょう。
2019年に50回の節目となる「福島わらじまつり」は、音楽家の大友良英氏を迎え改革を図ろうとしています。そして、大友氏氏の目に映った「福島わらじまつり」とは、東北の「青森ねぶた祭」とは違う、少し微妙でローカルな祭りとしての姿でした。
そこで、このニュースサイトでは、なぜ「福島わらじまつり」はローカル版に留まっているのかを検討しました。
結果、「福島西道路」の整備による人々の流れの変化、さらには「高速バス」の登場による人々の他県への流入で人々の密度が希薄となり、結果として祭りが盛り上がらないのではと推測するに至りました。
もしそうであれば、 「福島わらじまつり」が盛り上がり、人々が誇りを持てるような祭りへと成長させる方策はシンプルです。
「西道路」や「高速バス」がこのような事態を招いたのであれば、逆にこれらを使うことにより、祭りの発展に寄与させましょう。
つまり、「高速バス」を使って他県からの見物客の流入を図ることです。
福島市と周辺各地とでは高速バス網が整備されていますが、祭りの期間中はバス料金を「無料」にすることです。
先に紹介したように、例えば「福島 ⇔ 仙台」間は1日20往復以上もの高速バスが行き来していますが、このうちの半分を「わらじまつり無料バス」と銘打って、祭り会場周辺に発着させるようにするのです。
確かに、「わらじまつり無料バス」に乗る人すべてが、実際に祭り会場を訪れるとは限りません。しかし、それでも良いのです。大切なのは祭り会場となる信夫山や、福島駅前周辺に人々を集めることです。なぜならば、祭りとは仕掛けや企画によって盛り上がるものではないと考えるからです。祭りを盛り上げるのは、見物客も含めた祭りに参加する人々の「熱気」だと確信します。
そのためには是が非でも人々を集めなくてはなりません。見物客が多ければ多いほど、祭りのわらじを担ぐ人々を始め、祭りの演者の気合が違ってくるからです。そんな人々が心から本気になった時、祭りの楽しさは「誇り」へと昇華するでしょう。
「福島わらじまつり」の予算はいかほどであるか知る由もありませんが、無料で運行する「わらじまつり無料バス」の燃料代をどうにか工面する必要があります。期間はわずか2日間ですので、燃料代プラス・アルファを予算立てし、あとはバス業者3社に地元発展のために一肌脱いでもらいましょう。そのために著名な音楽家を迎え入れたのではないでしょうか?
2019年の第50回「福島わらじまつり」は8月2日(金)~3日(土)の2日間。
時間はまだ十分にあります。大友良英氏が描く構想について、私たちも楽しみにしているところですが、今回提案させていただいた「わらじまつり無料バス」もアイデアの一つとして検討のテーブルに乗せていただくことを期待しています。