黒岩 彰 を忘れてはいけない
日本国内では平昌オリンピックの話題で沸騰中のところだが、冬季五輪の季節になると不思議と必ず頭に浮かんでくる選手がいる。――スピードスケートの黒岩彰(くろいわ あきら)氏である。
実力では世界一とも言われていた。専修大学時代には全日本スプリントで優勝、さらには世界スプリントでも日本人初となる総合優勝を果たすが、なぜかオリンピックでは振るわなかった。
”黒岩、プレッシャーに負ける”という見出しが新聞紙上に書き立てられることもあった。確かに、彼は不運も重なったことから、大舞台には縁遠い選手の一人でもあったと言える。事実、1994年のサラエボオリンピックでは、優勝候補と目されていながら10位という不本意な結果に終わっている。
そのような中で迎えた1988年のカルガリーオリンピック。黒岩は極めて不利とされているアウトレーン・スタートだったのにも関わらず(サラエボ五輪でもアウトレーンであった)、4年前の悪夢を払拭するように見事に銅メダルに輝く。
このとき、黒岩はテレビのインタビュー・カメラの前で周囲も憚らず号泣した。
「どうか見てください!これが私が取ったメダルです!」と誇らしげに叫び、そして「これでこれからも生きてゆける」とすら語った。
気持ちの面の弱さを指摘されたことから、当時では珍しいメンタル・トレーニングまで貪欲に取り入れていった、彼ならではの、彼だから発することのできる魂の叫びだったであろう。
これまでにないタイプの日本人
話を”今時点に”に戻そう。
2月17日。日本中が二人の若者たちの活躍で話題騒然となった。明らかにこれは事件である。
平昌オリンピック、フィギュア・男子スケートで見事金メダルで連覇を果たした羽生結弦、そして将棋の世界では藤井聡太が羽生善治を打ち破り、朝日杯将棋オープンで優勝を果たした。羽生善治氏と言えば2月13日に囲碁の井山裕太氏と共に「国民栄誉賞」を受賞したばかりの棋界のレジェンドでもある。
このようなニュースが同日に飛び込んでくるのは確かに”大事件”である。その意味で2018年2月18日は、ある種の”特異日”として我々の記憶に刻みつけられるだろう。
そしてこのことは、日本人のメンタルの在りようが確実に進化してきた、つまりは次のステージへと階段を一段上ったことの象徴なのかもしれないと思われる。
羽生結弦の鬼気迫る演技、そして、藤井聡太の何事にも動じない落ち着きは、向かうベクトルが真逆を向いているようにも見えるが、それでも本質的には同質であると考えられる。つまりは、個々の世界観を誰の邪魔を受けず存分に発揮できている点において同質なのである。
これまでの日本人は大舞台に弱く、プレッシャーに打ち負かされ後塵を拝してきた感がある。しかし、彼らを見ているとそのような下世話なプレッシャーなど遠い存在に思えてくるのである。彼らに重圧はないと言えば嘘になるだろうが、それでも少なくとも彼らは重圧に対しては自由、あるいは自在なのである。これこそが、次なる次元に突入した人間と言わずして何と形容すべきなのか。筆者としては、これに相応しい言葉をみつけられないでいる。
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