2024年12月12日、国民民主党の玉木雄一郎氏は、特定扶養控除の所得基準を150万円に引き上げる提案がなされたことを自身の「X」に投稿し、これが「前進」であると評価した。
確かに、学生の労働収入を増やすことで経済的負担を軽減する取り組みは、一見すると学生支援の一助となるように思われる。
しかし、この政府からの提案は根本的な課題解決には至らず、むしろ問題を深刻化させる可能性さえあるのではないだろうか。
学生の本分はあくまで勉強であるが、しかし国民民主党の動向を見ていると「学生らが労働することが前提」となっており、世論をミスリードしてしまう可能性もあることから注意が必要である。
親の扶養控除より授業料無償化が鍵
玉木雄一郎氏による提案の根本的な限界は、「学生自身が働いて収入を得ること」を前提としている点である。
大学生がアルバイトに依存しなければならない現状は、日本の高等教育が抱える大きな構造的問題の一端に過ぎない。
本当に学生を支援したいのであれば、彼らの労働負担を増やすのではなく「授業料の無償化」を進めるべきではないだろうか?
日本は、OECD加盟国の中でも大学授業料が高額である国の一つだ。
そのため、多くの学生が生活費や学費を賄うためにアルバイトを余儀なくされている。
しかし、アルバイトによる収入を増やせる環境を整えるだけでは、当然のことながら学生が学業に専念できる体制は整はない。
むしろ学費を無償化し、教育に対する公的支出を増やすことで、学生が真に学びに集中できる環境を提供することが急務であると言える。
さらに、扶養控除の基準を引き上げることで学生がより多く働けるようになると学業への影響が懸念される。
アルバイトの時間が増えるほど学習に費やす時間が減少し、学業成績や卒業後のキャリアに悪影響を及ぼす可能性がある。
(これも当然のことだが)一部の調査では学生がアルバイトに多くの時間を割くと、単位取得率や卒業率が低下する傾向があることが示されていのだる。
学生が働きやすい環境を整えるよりも、働かずに済むような支援策を優先すべきだ。
政策の方向性を再考する必要性
現在、世界各国で高等教育の授業料無償化が進んでいる。
例えば、ドイツやスウェーデンでは大学の授業料が基本的に無料であり、学生は学びに集中できる環境が整っている。
一方、日本では依然として授業料負担が家庭に重くのしかかり、結果としてアルバイトに依存する学生が増えている。
特定扶養控除の基準引き上げは一時的な解決策にすぎず、残念ながら根本的な解決策にはなり得ない。
確かに、玉木氏の提案には学生への配慮が感じられるが、扶養控除基準の引き上げというアプローチでは教育の負担軽減という本来の目標には届かないのである。
真の「前進」を実現するためには国が教育費の負担を引き受け、すべての学生が平等に学びの機会を得られるようにすることが必要となる。
教育への公的投資を増やすべき理由
授業料無償化は単なる費用負担軽減の手段に留まらない。
教育とは、将来の日本社会を支える人材を育成する投資だ。
学生が学びに専念できれば高度な知識やスキルを持つ人材が増え、経済成長や社会全体の発展に繋がる。
この点で授業料無償化は長期的な視野に立った政策であり、日本の未来を支える基盤となるはずだ。
玉木氏が言うように、今回の政府提案が「前進」であることは認めるものの、目指すべき方向性は明らかに異なっている。
本当に学生のことを思うのであれば扶養控除の基準引き上げではなく、授業料の無償化や教育への公的投資拡大を推進するべきなのだ。
それこそが、学生が学びに集中できる社会を築くための「正解」といえるのではないだろうか?
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