「立憲民主党」「国民民主党」が自民党に打ち勝つたった一つの方法!

Introduction:「立憲民主党」と「国民民主党」が合流するのは大いに結構だが、その際は『共和党』を名乗ったらどうだろう?

どうやら枝野さんは相変わらず「立憲民主党」の名前にこだわっていると聞くが、それはであまりにセンスがなさ過ぎる。

ここは一つ「共和党」を名乗り、世間をアッと言わせるべきではないのか? 有権者の大多数は政策の中身などまるで分らないし、関心もない。イメージが良く新しいと感じさせれば、それだけで票をもぎ取ることができるのだ。

党勢拡大どころか、政権交代すら射程に入るだろう。いい加減、覚悟を決めるべきだ。

小粒な政治家が小さなコップの底で争っている

「立憲民主党」と「国民民主党」が合流を目指しているという。大変結構なことである。しかも、両党を解党し新党を結党するという形をとるのが基本的な考え方のようで、この新党構想については実はかなりのレベルまで話が進んでいるようだ。

しかし、最後の段階にきて揉めに揉めているのが「党名」をどうするか?についてである。両党を解党し新党を結成するのであれば、当然「党名」も新たにするのが筋というものだが、立憲民主党の枝野幸男代表は「立憲民主党」の名前以外は全く想定していないのが、そもそもの発端である。

枝野代表にしてみれば「両党解党」という最大限の譲歩をしたのだから、党名は「立憲民主党」でいいじゃないか!? という理屈。一方、国民民主党の玉木雄一郎代表にしてみれば、党名を「立憲民主党」にすればあたかも国民民主党が立憲民主党に吸収されたかのような印象は否めない。だから「党名を決めるには投票以外はイメージできない」と反発している。

面白いのは、国民民主党の小沢一郎だ。小沢氏はなぜ玉木代表が立憲案を飲まないのか不思議に思っている。確かに、小沢氏は過去に『生活の党と山本太郎となかまたち』といった珍妙な党名をいとも容易く認めた経緯がある。彼にとって党名など、どうでもいいことなのだろう。

結局、党名については両党の幹事長協議に委ねることになった中で、立憲の枝野代表は福岡県での記者の取材に対し「交渉当事者ではない人間が外部に対してものを言うことは、まとめたくない意思表示としか思えない」と、立憲のやり方に不満を言う国民の玉木代表を ”けん制” している。

実に些末な話である。小さなコップの底での小粒な政治家たちの言い争いである。これで ”巨人” 自民党に立ち向かえるのだろうか?

”xxx民主党” は禁断のフレーズだ

枝野氏は「立憲民主党」の党名を変えたら野党全体が沈んでしまうと考えているようだが、その認識は完全にズレている。

「党名」という観点で言えば、「立憲民主党」にせよ「国民民主党」にせよ、そこに致命的なフレーズがあることに気づかなくてはならない。それは『民主党』の3文字である。

2009年に政権交代を果たし、その後わずか3年足らずで沈没した「民主党」という看板に、日本人は底知れぬ深いルサンチマンを抱いている。
少しでも政治に詳しい国民の中には、今でも当時の民主党を激しく批判する者は多く、また、小学生の子供を持つ家庭の主婦が「民主党だけは許せない!」と息巻く姿を、筆者は目の当たりにしたこともある。

どんなに政策が良くて素晴らしいメンバーが揃ったとしても、もはやこの国では「民主党」を名乗った時点で即アウトなのだ。その辺のところを、枝野氏も玉木氏も国会議員という特権階級に浸っている中で、いささか ”浮世離れ” している感は否めない。

2017年の衆院選。
「枝野立て!」──若者からの声援の中、周囲の予想に反して善戦した立憲民主党。しかし、現在は当時の勢いはまるで感じられず明らかに党勢が後退しているのは、相変わらず立憲民主党の面々が永田町の理屈で動いていることが支持者にバレたからである。そのことがかつての「民主党」の記憶を呼び覚まし、今では民主党の ”亜流” のような印象すら持たれている。

よって、立憲が国民と合流しても、名前が『xxx民主党 』のままでは政権交代などまるで期待できないし、多少なりとも肥大化した野党がまた一つ出現するだけなのだ。

なぜ「共和党」を名乗らないのか?

何事も看板は大事だし ”名は体を表す” ともいう。
枝野・玉木両氏がそこまで党名にこだわるというのであれば、いっそのこと『共和党』を名乗ったらどうだろう? ──これこそが自民党に打ち勝つ、たった一つの方法となる。

基本的に有権者の8割がたは政策の中身など分からないし、関心もないのである。言わば「B層」的な感覚の持ち主である彼らは、これまでにない新しい党名によって投票行動が左右されると見て間違いない(そこにイメージ戦略の予算が組めれば鉄板だ)

なぜ今まで「共和党」を名乗る政党が表れなかったのが、むしろ不思議なぐらいだ。それはやはり「君主制」との整合性をいかに図るかが問題視されたためだろう。

「共和制(共和国)」と「君主制(君主国)」は相対する概念だ。
日本では戦前の大日本帝国憲法が天皇に主権があることを定め、日本は天皇を君主とする君主制であると規定している。そして、現在も海外などからは君主制の類型のように見なされているかもしれない。それは一重に、認証官の存在によるところが大きいと考えれれる。

ここでいう「認証官」とは国務大臣、最高裁判所判事、検事総長、そして特命全権大使など、内閣に任命され「天皇が認証」する職責のことを指す。海外からはこれがあたかも天皇によって任命、つまり天皇が君主であるかのような印象を持たれがちだが、もちろん現実はそうではない。

言うまでもなく天皇は日本国民の象徴であって、政治的な力は持ってはいない。よって、天皇の認証はあくまで儀礼的なものに過ぎず、それ以上でも以下でもない。さらに、天皇の認証については裁可と異なり、行為の成立要件でも効力発生の要件でもない。天皇は認証を拒否する自由がないばかりか、仮に天皇の認証がなかったとしても、認証官の任命が無効になることもないのである。

すなわち天皇が行う国事行為はセレモニーであって、君主が行う政治ではない。よって、ここに「共和党」を名乗る政党の出現の余地は残されている。ただし、共和党を名乗ることにより ”天皇廃止論者の集団” と誤解されかねない面はあるので、党の綱領の最初に天皇を敬い、象徴天皇制の存続を支持する方針を書き込む必要はある。

そう考えると、「共和党」の名前はむしろ共産党にこそ相応しいかもしれない。共産党の場合、かねてより党名が足を引っ張っていることが指摘されている。党名さえ変えれば躍進間違いなしと言われているのだが、なぜか彼らは「共産党」の名前にこだわっている。だから令和の時代になってもなお「共産党は共産革命を狙っている」といった笑い話がまかり通るのである。

共産党が大胆にも「共和党」と名を変えれば、政治の流れは大きく変わるに違いないし、それは今回の「立憲民主党」と「国民民主党」の合流に際しても十分に当てはまるのだ。

果たして立憲&国民の面々は大胆な発想により、新鮮な党名を我々に提示することができるだろうか? 最悪なのは枝野氏が「立憲民主党」の名前に拘泥し、この名前で両党の合流を押し切ることである。ここに新鮮さは1ミリもない。これそこが ”野党の死” を意味している。

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