Introduction:8月17日に発信した拙記事「【終戦記念日 特別機関】なぜ天皇陛下は靖国神社を参拝しないのか?」については、Twitter上で今も炎上しております。
この記事については、ネトウヨとおぼしき方々を中心に賛否両論となっていますが、否定的な意見は「お前は ”上から目線” でけしからん!」「天皇陛下の不参拝とA級戦犯との因果関係はない!」「お前の記事こそが中高生レベルだ!」
といった、3パターンに集約されているように見えます。
批判されるのはことについては、「様々な意見をいただく」という意味において感謝しておりますが、と同時にあまりにもステレオタイプ的な批判ばかりで、少し物足りない気もしています。
そういうわけで、また別の角度から、ネトウヨの皆さんがこだわる「靖国神社」についての記事を配信したいと思います。
日本人に最も密着した「施設」とは?
日本人の日常生活にあまりにも深く溶け込み過ぎ、その本質が全く分からなくなっている施設の一つが「神社」です。その数、大小合わせて全国に15万とも20万とも言われています。
また、個人宅、法人敷地内にも神社が建立されているケースは多々見受けられ、時に洞窟などにも存在することを考慮すれば、正確な実数を集計するのは不可能でしょう。
確かに、神社は僻地だろうが限界集落だろうが、反対に最先端都市のど真ん中だろうが、厳として存在しています。日本全国どのような地域であっても、子供の徒歩圏内に神社は存在しています。
よくよく考えてみれば、これは凄いことです。皇族の子女が神社の神職と婚姻関係を結ぶといった例もありましたし、また、天皇陛下による祭礼的な儀式は神社のそれと結びついています。
そして、日本ルーツを八百万の神(やおろずのかみ)を基本とする出雲、高千穂から天皇を統率の中心とする、大和朝廷の源流に求める者も少なからず存在しています。
つまり、日本という国家は「神道」を体現し、このことは宗教的には仏教が根底にあるようでも、実は「神教」が完全に優位に立っていることを示しています。
正月を迎えれば、とても多くの人々が初詣に繰り出します。この一点だけでも、日本人のパワーは尋常ではない、「神道・神教」は日本人の本能に組み込まれたプログラムのようです。
靖国は「神社」であるのか否か?
そのような神社の中でも、異色の彩を放っているのが「靖国神社」です。
ご存知のように、終戦記念日の8月15日、靖国の表情は豹変します。
多くの戦没者遺族の参拝は言うに及ばず、政治的に保守とされている者、過激な右翼と見なされている者、右派過激派組織から左派過激派組織、さらには ”ヤクザ” に至るまで。この日は、日本人のある種の典型が集う祭典の場さながらです。
靖国に行かれたことがない方は、8月15日に一度足を運んでみることをお勧めします。
真夏の厳しい暑さの中で大変ですが、それでも時間をとって一日ゆっくり散策してみると多くの発見をするでしょう。
第一鳥居から入場し、大村益次郎の銅像を眺めタカ派政治家の演説も冷やかし加減に耳を傾け、そうするうちに、途中若い巫女さんによる出店も並んでいて、様々な靖国グッズが売られているのに気がつくでしょう。
第二鳥居を通過すればすぐに巨大な菊の御紋をつけた神門に出くわします。そこを通れば参拝し賽銭を献じる拝殿へと繋がるわけですが、終戦記念日では長蛇の列となるために、炎天下のもと、ここでしばらく足止めされることになります。
垂れ幕が張られた拝殿の様子を見学したら、拝殿から向かって右側にある通路を通り、靖国のさらに奥にある庭園、神池庭園に行ってみることをお勧めします。
靖国参拝をする方々でも、この神池庭園までやってくる方は稀だと思います。
ここはむしろごく少数の、靖国的でない人々がホッとひと時の清涼を得るための憩いの場になっています。人影も拝殿前の大行列とは打って変わって、多からず少なからずの人との距離感が心地良く感じます。
池の奥周辺には行雲亭、洗心亭、靖泉亭なる茶道会や茶道教室が催される瀟洒な純和風建築がひっそりとたたずんでおり、風雅な趣を醸し出しています。ただし、8月15日はこれらの施設は立ち入り禁止となっています。
行雲亭の裏手にあるのは、なんと「相撲場」です。
なぜ、靖国に相撲場、すなわち土俵があるのか不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。
実は、この土俵はなかなか重要な存在です。というのも、毎年春の例大祭において行われる「奉納相撲」は、知る人ぞ知る有名な行事だからです。
靖国神社の「奉納相撲」と外国人力士
「靖国神社百年史」を紐解くと、昭和36年4月の記録として、「奉納大相撲。横綱若乃花・同朝潮以下総勢五〇〇名参加す。観衆約一万人」 といった記載もあります。
奉納相撲は戦時中は中断していたものの、戦後の昭和34年の春の例大祭に復活を遂げました。この時の記録としては「横綱若乃花、中庭において雲竜型の手数入り(でずいり)を行う。観衆約1000名。以後恒例となる」との記述が残っています。
この奉納相撲は1960年代まで続けられ、70年代には中断するものの、80年代には復活しています。
ことに1992年4月に開催された奉納相撲は興味深いものでありました。
この年は『文藝春秋』4月号に「外国人横綱は要らない――いま国技の品格を守るのか棄てるのか」といった寄稿分が掲載され、それを発端として当時の東の正大関だった小錦による「横綱になれなかったのは人種差別のせい」といった発言が角界を揺るがす騒動が起こった年でです。
当時の小錦は絶頂期にあり、成績からしても横綱に推挙されるのに何ら遜色がありませんでしたが、実際はそうではありませんでした。
そんな折に「人種差別・・・」の記事がニューヨーク・タイムズに掲載され、そのニュースが日本に逆輸入されたことによって、小錦は角界の異端児のレッテルを貼られてしまうのです。
もっとも、この人種差別発言は小錦本人が発したものではなく、タイムズの取材に応じた同じハワイ出身の付き人が、取材の意図も分からないままに不用意な発言をしてしまったとの裏話があるとはいえ、日本のメディアにおいては ”時既に遅し” だったのです。
それでも、この年の奉納相撲が興味深いとする理由は、参加力士の顔ぶれにあります。というよりも、参加しなかった力士の顔ぶれにあるといった方がより正確かもしれません。
というのも、怪我のために本場所を休場していた当時の一人横綱、北勝海(ほくとうみ)はこの4月の靖国の奉納相撲も欠席し、結局のところ奉納相撲の結びの一番は外国人力士である「小錦」が務めることになったからです。
外国人力士が横綱になること云々よりも、むしろ靖国神社の奉納相撲の結びが外国人力士によって取り仕切られることの方がよほど物議を醸し出しそうですが、実際はそのような議論は皆無でした。
靖国神社の精神を利用する政治家たち
終戦記念日の8月15日、靖国神社は普段とはうって変わって喧騒につつまれますが、そもそも靖国にとって、実は、8月15日に公式的な祭礼は存在しません。
奉られている「御霊(みたま)」を慰める祭りは春と秋の「例大祭」と、毎月1日、11日、21日に行われる「月次祭(つきなみさい)」のみです。
もし閣僚らが ”公式” に参拝するのであれば、これらの例大祭や月次祭に参拝するのが筋目であり、靖国の御霊を慰める意味でも適っていると思われます。
よって、終戦記念日にだけ靖国参拝する閣僚は、パフォーマンスに興じているだけのではあるまいか?
政治家による靖国参拝を歪な形にした発端は、昭和50年(1975年)の三木武夫首相です。彼はあえて8月15日を選び、しかも公人ではなく「私人」として参拝しました。これがなぜ歪な形かと言えば、答えは明白です。
靖国神社に奉られているのは、先の大東亜戦争の犠牲者だけに留まるものではありません。西南戦争、日清戦争、日露戦争、そして第一次大戦といったように、幕末以降の戦死者の多数がこの地に奉られいます。
ところが、8月15日をターゲットに参拝してしまうということは、大東亜戦争の犠牲者を特権化してしまうのではないかという議論がどうしても吹き出してきます。
そして、この歪な形をさらに歪なものへと変容させたのが、当時の中曽根康弘首相です。三木首相が私人であったのに対し、中曽根首相は公人として公式参拝を断行しました。
これに最も敏感に反応したのが中国であるのは言うまでもありません。中国は日本の首相による靖国公式参拝、特にA級戦犯合祀をターゲットに定め、これをプロパガンダに利用する戦略に打って出たわけです。このことは、現在も中国の基本戦略となっていることは周知の通りです。
さらに、長期政権を維持した小泉純一郎首相による靖国参拝はあまりにも有名ですが、彼はそんな中国による靖国参拝批判を「しゃらくさい」という感情的な思いもあり、いわばパフォーマンスとヤケッパチな感情入り乱れる状態でもって靖国に足を運んだ一人であると考えられます。
小泉首相の靖国参拝について、意外に知られていないことの一つとして、今や終戦記念日の名物となっている兵士などに扮した一般市民による一連のパフォーマンス(コスプレ)は、実は、小泉首相の参拝の時期から急激に増えてきたということです。
かつて、靖国神社に詳しい人物と話をする機会がありましたが、小泉首相以前の終戦記念日は参拝する人の数こそ多かったものの、それは静かで厳粛なものであったといいます。
ところが、小泉首相が足を踏み入れるようになって、軍属のパフォーマンスが急激に増えだしたということなのです。
その理由は全くのところ不明と言う他ありませんが、”類は類を呼ぶ” ように、不純な動機に基づく政治的パフォーマンスに明け暮れる政治家は、やはり ”その手の” 人間を呼び寄せてしまうのかもしれません。
コメント