中曽根康弘 元首相が死去 ~不沈空母を利用した首相

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Introduction:中曽根康弘・元首相が死去されました。享年101歳。

特に好きでなくとも、特に支持していなくとも、この訃報に深い感慨を抱いた方は多いことでしょう。

中曽根氏は晩年、小泉首相に切り捨てられるようにして政界引退を余儀なくされました。そんな彼は、著作のなかでも小泉氏への ”恨み節” を炸裂させています。

また、有名な ”不沈空母” 発言の裏側には興味深いエピソードがありました。
転んでもタダでは起きない、中曽根氏のしたたかさを物語っています。

小泉純一郎への ”恨み節”

「一九九六年の候補者調整の時に、私を『終身比例代表一位』とした約束を守って欲しい。あれは、党の公約だ。これでは、自民党は老人はいらないとの印象を持たれる。君は、インドネシアでもタイでも、記者との懇談会の席では、本人の判断に従うと言ったはずだ。私は今までそれを信用してきた。突如おいでになり、そういうことを言う。非礼なやり方ではないか」
~中曽根康弘『 自省録 -歴史法廷の被告として- 』~

好き嫌い、支持する・しないは全く度外視して、訃報に接した際、深い感慨に包まれる政治家は少なからず存在する。
11月29日、都内の病院で101歳の天寿を全うした中曽根康弘・元首相もそんな一人だ。

しかし、中曽根氏に対する感慨は何も礼賛だけとは限らない。中曽根氏については、何も筆者だけに留まらず、賛辞と批判が相入り乱れているのが大方の見方ではないかと思う。

冒頭に紹介したのは、中曽根氏の著作『自省録』からの引用だが、「序章 総理大臣の資質」は小泉純一郎・元首相への ”恨み節” に満ち溢れている。

そもそも自民党に ”73歳定年制” を持ち込んだのは、2003年の小泉政権のときである。しかし、中曽根氏に対しては、小選挙区制度の導入に伴う1996年の衆議院選挙から「終身比例代表一位」で処遇することを自民党執行部から確約されており、以来、彼は小選挙区からの立候補を見送ることになる。

そのような経緯もあり、2003年の衆院選では中曽根康弘、宮澤喜一の両元首相の処遇が注目される中、当時の小泉首相は ”73歳定年制” の例外を二人には適用しなかった。2003年10月20日に出された「第一次公認名簿」の中に、二人の名前は無かったのである。

中曽根氏に言わせると、何の通知もなく何の話し合いもなく、無断で名簿から除外されたことになる。これをして中曽根氏は ”政治的テロだ!” と激高した。
この瞬間、中曽根氏は56年に及ぶ政治生活にピリオドを打ち、議員引退を余儀なくされたのである。

”不沈空母” 発言の真相とは

「日本の防衛のコンセプトの中には海峡やシーレーンの防衛問題もあるが、基本は日本列島の上空をカバーしてソ連のバックファイアー爆撃機の侵入を許さないことだと考えている。バックファイアーの性能は強力であり、もしこれが有事の際に日本列島や太平洋上で威力を発揮すれば日米の防衛協力体制はかなりの打撃を受けることを想定せざるを得ない。したがって、万一有事の際は、日本列島を適性外国航空機の侵入を許さないよう周辺に高い壁を持った船のようなものにする」という意味でした。有名な外交記者オーバードルファーの質問に答えたものです。
 通訳は、それを「unsinkable aircraft carrier」、つまり「不沈空母」と意訳したのです。
~中曽根康弘『 自省録 -歴史法廷の被告として- 』~
※本文中、太線は筆者によるもの

1983年1月、中曽根氏は首相になって初めての訪米の途につくことになった。そして、アメリカについた翌日には、ワシントン・ポスト紙の社主、キャサリン・グラハム女史が、彼のために朝食会を開いてくれた。
問題の ”不沈空母” 発言は、そのような中で飛び出したのだ。

ちなみに、キャサリン・グラハム女史については、2017年にスティーブン・スピルバーグ監督、メリル・ストリープ、トム・ハンクスの豪華出演者による『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』として映画化もされている。この映画に登場する、メリル・ストリープ扮する主人公こそがキャサリン・グラハム女史なのである。

映画『 ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』のワンシーン

オーバードルファー記者が ”意訳” してしまったお陰で、中曽根氏による ”不沈空母” 発言が日本国内でヒステリックに報道され、その後、オーバードルファー記者も録音テープを再度検証した結果、中曽根氏の口からは「不沈空母」に該当する言葉がなかったことが判明、記者が中曽根氏サイドに謝罪してきたというオマケもついた。

しかし興味深いことに、「ポスト紙へ、訂正の記事を掲載させていただく・・・」といったオーバードルファー記者の申し出に対し、何と中曽根氏はそれを断ったというのだ。

理由は、ワシントンに鬱積していた日本への不信感を払拭することになったからだ。つまり、第一次中曽根内閣の前の鈴木善幸内閣において、日米は安全保障をめぐり極度に悪化していた経緯があり、両国には”意図的” なショック療法が必要だと、中曽根氏自らが感じ取っていたからに他ならない。そんな中で、アメリカ人記者の誤訳が見事にハマってしまったのだ。

このようにして、中曽根首相率いる日本とアメリカの関係は好転への兆しを見せ始め、やがては皆が知るところの「ロン・ヤス関係」へと繋がっていく。
現在、安倍政権で既定路線となっている ”対米従属” は、中曽根内閣のもとで端を発したエピソードによって鮮明になったとも言える。

ここで重要なのは、昭和天皇もまた、アメリカとの関係を憂慮している一人だったということだ。

中曽根氏の『自省録』には、アメリカからの帰国後に昭和天皇に内奏したエピソードが書かれている。そして、鈴木内閣末期の日米関係を非常に憂慮されていた昭和天皇が、中曽根氏の報告を聞いて安心されたようだったとの趣旨の描写があるのだ。

ここで天皇は痺れを切らしたかのように、「日本の安全保障を図る為にはアングロサクソンの代表である米国がそのイニシアティブをとることを要するのでありまして、その為元帥の御支援を期待しております」と ”本筋” に切り込んだ。
~豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)~
※本文中、太線は筆者によるもの

◆ 関連記事 ◆
 『【終戦記念日 特別寄稿】なぜ天皇陛下は靖国神社を参拝しないのか?』

考えてみれば、日本の戦後体制、すなわち米軍が日本に駐留し日本の政治にも大きな影響を与え続け、日本もこれを当たり前のように受け入れている体制を、何よりも望んだ一人が昭和天皇ではなかったのか?――そう考えると、日本は何一つとして変わっていないことに気づかされる。

中曽根元首相の訃報に接しては、どのメディアも「戦後政治の総決算」をキーワードとして挙げているようだが、実はこの期に及んでも総決算など全く為されていない日本の政治の現実が、あらためて露出しているように筆者には見えている。

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