ゴロゴロ、ガラガラとスーツケースを転がし、神出鬼没にして、その性、粗削りにして豪快。気を落ち着かせるためだと言っては、大口でケーキを貪り食っている。
東京新聞の、いささか問題視されている記者ではあるが、望月衣塑子はそれでいて可愛い女でもある。

望月衣塑子はなぜ浮くのか

望月衣塑子記者は、多動症ではないでしょうか?
いわゆるADHD(注意欠陥多動性障害)というやつです。

映画『i-新聞記者ドキュメント』の監督、森達也氏はこの作品の製作を通じてある種の法則性を予感したに違いあるまいと、筆者は想像しています。
それは、大袈裟に言うのなら、時代をつくる人間は皆多かれ少なかれ「多動症」の要素を持ち合わせるのではないかといった「予感」です。

この映画作品と同じ時期に発売された『Newsweek 日本版 2019.11.5号』の特集「ニッポンを揺さぶる山本太郎とは何者か」で、オープニングを飾ったのが森達也氏による取材記事でした。
その記事の中で、森氏は山本太郎氏を評して次のように述べています。

山本本人に言ったことはないけれど、彼はADHD(注意欠陥多動性障害)だと思う。だから場や空気を読むことが苦手だ。1人で決断して1人で動く。僕の周囲には多い。ただし症状は人によってさまざまだ。

Newsweek 日本版 2019.11.5号 「ニッポンを揺さぶる山本太郎とは何者か」

ちなみに、多動症という文脈で言えば、山本氏の支援者であった女優の木内みどりさんの中にも、やはり多動症の気配を森氏は感じ取っているわけなのです。
そしてこのことは、「望月衣塑子」という新聞記者にも、見事なまでに当てはまっているのは言うまでもありません。

つまり、「望月衣塑子はなぜ浮くのか」という疑問です。

これは『i-新聞記者ドキュメント』という映像作品の、私たちに対する重要な問いかけの一つとなります。

山本太郎、木内みどり、望月衣塑子・・・”多動症” ⇒ 『時代をつくる』

このようにして、『i-新聞記者ドキュメント』の製作、『Newsweek』への執筆という過程の中で、森氏の心象風景は一本の糸で繋がったのではないかと思われます。これはクリエイターとして大きな成果でもあります。

『i-新聞記者ドキュメント』が問いかける日本の3つの醜悪

「新聞記者は序章にすぎなかった――」
映画『i-新聞記者ドキュメント』のキャッチフレーズの一つですが、今年の6月に公開された映画『新聞記者』(監督:藤井道人)と比較すると、本作品は原作〔望月衣塑子『新聞記者』(角川新書)〕に、より近い立ち位置を確保していると言えるでしょう。

それは、日本に蔓延する「3つの醜態 」の描写に如実に現れています。
では、これらの醜態とは一体何か? 順を追って見てゆきましょう。

政治の醜態について

『あなたは、菅官房長官の記者会見の様子を、自分の子供に見せたいと思いますか?』

これに「Yes」と答える人は皆無ではないでしょうか。このことに日本の「政治の醜態」凝縮されているように思われます。

首相官邸では月曜から金曜日の午前と午後の1回づつ、菅官房長官の定例記者会見が開かれます。これが、あまりに酷いという話です。

「そのような指摘は指摘は当たりません」
「法に基づいて行っております」
「まったく問題ありません」

木で鼻をくくったような態度で定型句を淡々と繰り返し、一方的にコミュニケーションを断つ菅官房長官の手法は、原作『新聞記者』でも望月記者が触れているように、いつの頃からか ”菅話法” と呼ばれるようになりました。

このような人を馬鹿にした、傲慢で不遜な態度でも政治家が務まる、世の中に通用すると大切な子供たちには絶対に思って欲しくないという意味で、菅官房長官の醜態は到底子供たちに見せられる代物ではありません。

本作品ではこのような菅官房長官の映像が事あるごとにフラッシュバックされ、そして、菅官房長官はついには○○へと変身してしまうのです!

メディアの醜態について

上にあるのは『i-新聞記者ドキュメント』のパンフレット最終頁に掲載されている画像ですが、現在の日本のメディアが抱える閉塞感と、望月衣塑子記者がその中でどのような存在なのかを端的に映し出しています。

最前列に陣取る、記者クラブに属する各新聞社から派遣される記者は、皆同じようなスーツに身を包み、そして、彼らがやっていることも実は同じだったりするのです。

彼らは、定例記者会見での菅官房長官の言葉を正確にトレースすることに心血を注いでいます。時折、判で押したような質問を発することもこともありますが、返ってきた言葉をまたカシャカシャとパソコンに打ち込むだけで、それ以上の追及を彼らがすることはありません。だから、新聞社の記事はどれも似たり寄ったりになるのです。

ところが、望月記者の場合はそうではありません。彼女は疑問があれば相手が誰であろうと、場の空気を読むことなく食い下がってきます。いわゆる ”浮いた” 状態になるのですが、それは記者として、ジャーナリストとして当然の行為です。

「彼女のやってることは政治権力について質問をする。これがなんで注目されなければいけないんだ?」

これは、森達也監督の言葉ですが、そんな当たり前のことすら通用しないのが日本のメディアの現実なのです。

そして、日本国民の醜態について

メディアが報道しなければ、その事件は無かったことになります。
メディアが動いても検察が動かなければ、その事件は無かったも同然です。
検察が動いても、司法が機能しなければ事件の加害者を断罪することができません。
――これが権力の本質です。

権力とは、「メディア」と「検察」と「司法」を統制する力のことを指して言います。

現在、「桜を見る会」疑惑で露出しているのは、まさに安倍政権の「権力」構造そのものなのです。だから、権力を有する安倍政権は「桜を見る会」疑惑に対しても、このまま逃げ切ってしまう可能性は否定できません。

では、この権力を担保しているのは誰か?
――言うまでもなく、主権者である私たち国民です。

つまり、「桜を見る会」疑惑に象徴される安倍政権の体たらくは、私たち国民が招いたようなものなのです。なぜならば、政治とは私たち国民の生き写しだからです。

イギリスの作家、サミュエル・スマイルズの『自助論』の冒頭の下りは、現代社会においても完璧なまでに有効です。

政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていかなければ、政治は国民のレベルにまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。つまり、国民全体の質がその国の政治の質を決定するのだ。

サミュエル・スマイルズ『自助論』(三笠書房)

映画『i-新聞記者ドキュメント』では、安倍首相による街頭演説の風景が映し出されるシーンがあります。
聞こえるのは「安倍辞めろ!」のシュプレヒコールです。そして、その声の間を縫うように「安倍晋三!安倍晋三!」の声援。

ここでも、日本国民は「分断」されています。
首相の街頭演説に対して「辞めろ!」コールが噴き上がることなど、かつてはありませんでした。たとえ自民党を支持していなくとも、首相が来ればとりあえず耳を傾けたものです。嫌ならばその場を離れるのみです。

しかし、昨今のような反安倍と親安倍との対立構造が明確になったのは、第二次安倍政権以降の特徴です。これを私たちは、どう解釈すべきでしょうか?

映画『i-新聞記者ドキュメント』の中で、望月記者は何もベールに包まれた権力構造を探っているわけでもなく、政治家の隠されたスキャンダルを捜しているわけでもありません。

彼女は自分が分からないこと、納得できないことを明確にし、それを権力者に対し私たちの代わりに「答えろ!」とジャーナリストとして要請しているだけです。
その活動の一部は、もしかしたら私たちが少し頑張れば、私たちの手によって出来ることなのかもしれません。

映画『i-新聞記者ドキュメント』が問いかけるもの。
――それは、私たちの政治的、社会的 ”醜態” そのものなのかもしれません。

▲ クリックすると『i-新聞記者ドキュメント』のWebサイトにジャンプします

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