「あとね、ラストチャンスだと思ったのよ」
「何が?」
「この国の政治を変えるラストチャンス。それが山本太郎だと思ったのよ」
~Newsweek 日本版 2019.11.5号~
日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のコーナー、「ダンス甲子園」で17歳の高校生がテレビデビューしたころ、この番組にレギュラー出演していたのが木内みどりさんだ。
彼の珍妙なパフォーマンスが、女優である彼女の目にどのように映っていたかは定かではないが、その後、この高校生は脱原発活動家として広く世に知られる存在となり、ついには政治家となった。
――元参議院議員・山本太郎である。
山本太郎氏はさておき、木内みどりさんのような俳優が政治的発言をすることには常にリスクがつきまとう。これが政治活動ならば尚更だ。
かつては石田純一が都知事選の立候補を断念したこともあったし、最近では沖縄辺野古基地建設への発言をめぐり、ローラが厳しいバッシングに晒された。
なぜかこの国ではタレントの政治的発言がタブー視されており、これを逸脱する者には仕事が回ってこない。タレントにとっては死活問題であるし、このことについては山本太郎氏も例外ではなかった。彼が脱原発活動に軸足を移すことに反比例するかのように仕事は減ってゆき、ついには事務所を止めざるを得なくなった。
しかし、奇妙なことに、木内みどりさんにはそのようなことは起きなかった。
脱原発を訴える女優の木内みどりさんが十一日、ロンドンで行われた脱原発集会でスピーチし、日本政府が同日の閣議決定で事実上、原発ゼロを撤回し、原発再稼働を進めるとした政府のエネルギー基本計画を批判した。木内さんは東京電力福島第一原発事故後、脱原発運動に積極的に参加。この日、在英日本人でつくる反原発団体や英国の反核グループが毎週金曜日に日本大使館前で行っている集会に招かれた。
木内さんは英語で「私の人生は福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべて行おうと決心した。誰も事故の責任を取らず、原因を追及もしない日本に対し私は怒っている」と述べた。基本計画にも触れ、「国民が事故のことを忘れたり、事故から逃げていてはまた事故が起きる」と訴えた。
~2014年4月12日 東京新聞『木内みどりさん英で政府批判 「また事故起きる」』~
彼女は山本太郎氏と期を同じくして脱原発運動へと駆り立てられ、今年の7月からは山本太郎氏率いる政党「れいわ新選組」の街頭演説の司会を務めるなど、政治活動を先鋭化してゆく。
それでも女優としての仕事は減ることはなかったという。
ここ最近の彼女はNHKの大河ドラマや5本の映画にも出演。また、『徹子の部屋』からも声が掛かるなど、「この歳になっても仕事を次々と頂けるのは幸せだ」と、夫婦で語り合ってすらいたという。
まるでエアポケットにでも入ってしまったかのように、「政治を語るタレント」としての彼女は「守られて」いた。
しかし、と同時に彼女は最も過酷な運命を突き付けられた一人となった。
あまりに早すぎる突然の死。
「当日は、朗読の収録終了後、懇親会で楽しく飲み語り合い、散歩をしながらホテルに戻ったということです。しかしながらその数時間後、ホテルの部屋で『急性心臓死』のため亡くなってしまいました」
とは、夫の水野誠一氏の言葉である。
木内みどりさんは山本太郎氏をして「困っている人、助けを求めている人を見過ごせないタイプ。その感受性は本当に強い」と評している。
そんな山本氏は既存の政治システムを打ち壊すべく、今も日本全国を行脚している。
「この国を変えるラストチャンス」だと、彼女は言った。
そして、その言葉は山本太郎氏にも確実に届いている。
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