日本は権力者の詭弁に引きずられてきた
「戦争が終わるということは、戦いが終わった時のこと、それは我々が勝つということだ。そして、我々の国が戦争に勝つということは、結局、”我々が負けない”ということである。戦争は負けたと思ったときは負け。そのときに彼我(ひが)の差が出る。」
これは昭和18年(1943年)、帝国議会における時の首相、東条英機の答弁である。それまでも東条は帝国議会において「戦時」についての意味不明な答弁を繰り返してきたが、戦況の悪化を極めるこの年においてその曖昧さ、珍妙さは頂点を極めた感がある。
今となって明確に言えることとして、当時の日本はこのような言動を繰り返す権力者に引きづられるように悲劇的な結末を迎えたということだ。
日本の戦争は日本が負けと思って負けたのではなく、原爆を落とされ国土が焦土と化して始めて負けを認めるべきと悟り、結果負けたのであろう。その代償はあまりにも大き過ぎたと言える。
このような権力者の詭弁とも言える言説は、戦後の池田隼人内閣で一旦は小休止したかのように思われたが、これに再び息を吹き込み、この動きを加速させた人物がいる。
――2001年から2006年に渡り、内閣総理大臣として政界の中心に君臨した小泉純一郎である。
仮に戦前戦中の詭弁家が東条英機だとしたら、戦後における詭弁家は小泉純一郎をおいて他にないと思われる。そして、現在の安倍政権による憲法改正、集団的自衛権への指向性は小泉純一郎の影響なしには考えられないと思われるのだ。
アーミテージ報告
小泉政権における憲法改悪を後押ししたのは2000年10月、アメリカ国防省が発表した「アメリカと日本-成熟したパートナーシップに向けて」と題する報告である。作成の中心的役割を果たしたのは、当時アメリカ国防省・副長官であり、また知日派としても知られるリチャード・アーミテージだ。よってこの報告は彼の名にちなんで「アーミテージ報告」と称されている。
(1)貿易額の観点からみても、アジアはアメリカにとって死活的な重要性をもつ地域である。
(2)アジア地域は紛争の可能性が小さいとは言えない状況があり、特に日本との関係は過去のいずれの時期よりも重要である。
(3)日本が集団的自衛権を放棄していることはアメリカにとっても制約である。しかしながら、ソ連崩壊後の日米関係は方向性と一貫性を見失い、両国の同盟は明らかに漂流状態にあった。
以上が要約であるが、アーミテージ報告は日本が集団的自衛権に踏み込み、日本国憲法をいわば無視した形で「日米同盟」の強化を強烈に要請したものであった。もちろん、当時のブッシュ政権がこの報告をベースとしながら対日戦略を練ったことは言うまでもない。
小泉純一郎を中心とする日本政府当局は、このアーミテージ報告を基調とするブッシュ政権の対日政策を全面的に受け入れる姿勢を明確にした。これは日本を戦争ができる国家、本格的に海外で武力行使を可能とする日本を指向するものであり、その発端となったのアメリカで起こった同時多発テロである。
この大事件を日本の集団的自衛権を実現するための”大いなるステップ”として、小泉政権は最大限利用した。そして「テロ対策特別措置法」なるものが、その成果として2001年11月にその姿を現した。このことは自衛隊の本格的海岸派遣がの実現することを意味していた。
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