日朝首脳会談実現の可能性 ~岸田政権の起死回生に繋がるのか?

安倍晋三の ”神話” に呑み込まれてはならない

亡くなった安倍晋三氏については、今では数多くの ”神話” が語り継がれている。
古くは2006年に上梓された、安倍晋三氏による『美しい国へ』(文春新書)の中にある、日米安保条約に絡んで高校教師をやり込めたという一節だ。
1970年を機に日米安保条約を破棄すべきだと主張する教師に対し、(これに反論できるのは私しかいない)と立ち上がり、『新条約には経済条項もある。そこには日米の経済協力が書かれているが、どう思うか?』と突っ込んだところ、教師の顔色がサッと変わり、不愉快な顔をして話題を変えてしまった──とする逸話である。

いかにも新安保を推進した岸信介の孫、安倍氏らしい武勇伝で、熱烈な安倍シンパの中で今も語られている。
しかし、この化けの皮を剥がしたのがジャーナリスト、青木理氏であった。
青木氏は彼の著書『安倍三代』(朝日文庫)にもあるように、実際にこの教師に会い、武勇伝は作り話であったことを突き止めた。

該当の教師は顔色を変えることなく『安保条約の柱は軍事協力であり、経済協力協定はこれに付随するもの。両者は相容れない』と明確に反論した。
そして、当の安倍氏は不満そうに友人らとヒソヒソ話を始め、議論はあっけなく終了したのだ。
つまり、顔色を変え、不愉快な顔をして話題を変えてしまったのは、安倍氏本人だったのだ。

安倍氏の経済政策「アベノミクス」も、今では ”神話” のような扱いになっている。
かつては「アベノミクスのお陰で経済が上向いた」とか「景気が良くなったのはアベノミクスのお陰」と吹聴するものがいたが、冷静に経済統計を辿っていくと日本はこの30年間まるで給料が上がらず、経済的に全く成長していなかった事実が眼前に立ち上がってしまった。
この現実に目を向けさせた一人が、MMT(現代貨幣理論)に類似した経済性格を訴える、れいわ新選組の山本太郎氏だったりする。

北朝鮮の拉致問題に関してなど、安倍氏の ”神話” に満ち溢れている。
確かに、拉致問題の取り組みは「政治家・安倍晋三」の看板政策であろう。
安倍氏は父・安倍晋太郎氏の秘書時代からこの問題に取り組み、北朝鮮の拉致に無関心だった日本人にこの問題の重要性を気づかせた人物ということになっている。

特に、上に紹介した主張などは、拉致問題に関する ”安倍神話” の典型事例である。
・官房副長官時代に小泉首相と北朝鮮へ行き、金正日に拉致を認めさせた。
・アメリカも巻き込み拉致問題に取り組んだ。

なぜ、このような ”神話” がまかり通るのか?
一つには、安倍氏の周りには保守系の論客を中心に、安倍氏の神話づくりに余念のない者が数多く存在するからだ。
産経新聞の記者、阿比留瑠比(あびる るい)氏も、その一人である。

阿比留氏は『安倍さんが日朝会談の休憩時に、盗聴されている前提で「席を立って帰りましょう」と言わなければ、金正日は拉致を認めなかった。日本政府は、拉致問題はうやむやのまま国交正常化に突き進んでいた』などと、平気でTwitterに投稿しているのである。
これでは、政治に詳しくない産経の読者など簡単に騙せてしまうし、こういった不用意な発言が上記に紹介した『官房副長官時代に小泉首相と北朝鮮へ行き、金正日に拉致を認めさせた』という主張の根拠にもなっている。

しかし、少し考えれば、これは阿比留氏のミスリードであることが分かる。
仮に、実際に安倍氏が『席を立って帰りましょう』と言ったとしても、それが金正日が拉致を認めたことの根拠にはならないからである。
そのことが分かるのは北朝鮮関係者だけであり、北朝鮮側が「安倍氏の発言によって我々は拉致を認めましたよ」なんて言うはずもない。
この阿比留氏の主張は日本側の憶測、想像に基づくもので、なんら根拠を示せない点において彼が作り出した ”神話” に過ぎないのである。

さらに、2002年10月の拉致被害者5人の帰国に際しては、北朝鮮との取り決めで「一時帰国」という扱いになっており、そのことに対して北朝鮮に戻すことを強く反対していたのが安倍晋三氏──ゆえに、今こうして平和に彼らが日本で暮らせるのも安倍晋三氏のお陰、ということになっている。

これについても、拉致被害者家族会の事務局長を務めた蓮池透氏に言わせれば、様相は全く異なってくる。
蓮池氏は自身の著書の中で、次のように内情を暴露している。

世間では北朝鮮に対して当初から強硬な姿勢をとり続けてきたと思われている安倍首相は、実は平壌で日本人奪還を主張したわけではない。
この事実は、本書の特別対談でも、ジャーナリストの青木理氏が明らかにしている。
安倍首相は拉致被害者の帰国後、むしろ一貫して、彼らを北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた。
弟を筆頭に拉致被害者たちが北朝鮮に戻ることを拒むようになったのを見て、まさにその流れに乗ったのだ。
そうして自分の政治的パワーを増大させようとしたとしか思えない

蓮池透『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)53P

拉致被害者が日本に帰還したのは小泉政権時の話であり、安倍氏が拉致問題に関してどのような考えを持っていたにせよ、スポークスマンも含めた補佐役としての官房副長官である。
最終決定者は首相・小泉純一郎であるという意味において、これを安倍晋三氏の実績と見なすには無理がある一方で、実績であるとも、ないとも証明することもできないのも確かだ。
それをいいことに、拉致問題に関する安倍氏の武勇伝だけが独り歩きし、いつの間にかそれが「成果」となって一部の者たちの中に定着してしまった感がある。

結局のところ、安倍氏の神話づくりに余念のない者が安倍氏の言葉を鵜呑みにし、根拠が確認できないままに雰囲気や空気だけで安倍氏のイメージを流布することに原因があるし、また安倍氏はそうさせてしまう人物なのかもしれない。

拉致問題に対して本当に高い見識と熱い情熱を持っていたのなら、なぜ8年8カ月も首相の座にありながら拉致問題が1歩も前に進まなかったのか?
なぜ安倍氏は拉致問題に関して全く成果を上げることができなかったのか? ──については検証せねばならない重要課題である。

岸田首相による「日朝首脳会談」は実現するのか

そんな中で、ここ最近岸田首相が意欲を見せているのが、北朝鮮による拉致問題なのである。
岸田政権は北朝鮮に対し「前提条件なし」の日朝首脳会談を打診したという。
ここで特筆すべきは、今回の岸田政権と過去の安倍政権とでは、北朝鮮の反応がまるで違うということだ。

実は、安倍政権時も同様に前提条件なしで首脳会談を打診していた経緯がある。
しかし、拉致問題と北朝鮮の核開発問題を一緒くたにして圧力一辺倒の外交を展開したため、安倍政権は自らドツボにハマり全く身動きが取れなくなってしまった。
これが安倍政権で全く成果を上げられなかった原因の一つだし、後続の菅政権もそれは同様である。

一方、岸田政権は過去の経緯も踏まえて少し異なるアプローチを展開しようとするらしい。
それは、拉致問題と核開発問題を分離し、首脳会談のための新たな ”大義名分” を設定すること。
それが功を奏したのか、北朝鮮は『大局的姿勢で新しい決断を下し、関係改善の活路を模索しようとするなら、朝日両国が互いに会えない理由がない』と、安倍政権とはまるで違う反応を示したのだ。

ただ、この大義名分というのが「北朝鮮の被爆者支援」
太平洋戦争末期の1945年8月、広島に投下された原爆により被爆し、その後帰国した北朝鮮の人々は1911人に上るという(2008年時点)
そのような人々が支援を受けられずにいるという現実を踏まえ、日本側が手を差し伸べようとする試みである。

そして、この動きに連動するかのように、先般のG7広島サミットで岸田首相は、韓国の尹錫悦大統領と共に韓国人被爆者の慰霊碑を参拝し、このことは韓国国内でも高い評価を得たという。

確かに、この「北朝鮮の被爆者支援」という北朝鮮接近の試みは、いささか ”こじつけ感” の拭えないものではあるが、そもそも「外交」とはそういうものだろう。
重要なのは、これを突破口に北朝鮮との対話の窓口をこじ開け、大きな実を得ることである。
その意味で、拉致問題のゴールは明確だ。
拉致被害者の日本帰還である。

実は、拉致被害者帰還については過去に重要な出来事があった。
「拉致問題は解決済み」との姿勢の北朝鮮が、拉致被害者2名の日本帰還を打診してきたことがあるのだ。
このニュースは2022年9月、地方紙の一面にも掲載された。

2014~2015年頃にかけ、北朝鮮は田中実さん(失踪当時28)、金田龍光さん(失踪当時26)の一時帰国を日本側に打診してきたのだ。
しかし、当時の安倍政権はこの申し出を拒否。
「拉致問題の幕引きを狙う北朝鮮のペースにはまりかねない」というのが理由だが、いかにも外務省が後付けで考えそうな詭弁なのだ。

なるほど、ここにも安倍政権時に拉致問題の成果がまるで出なかった原因が垣間見れる。
北朝鮮のアプローチを契機に外国窓口を一気に拡張するという発想はまるでなく、「全員帰国の原則」という ”原則論” に拘泥するあまり全く身動きが取れなくなるのは「四島一括返還」を原則にした北方領土問題と瓜二つである。

以上の過ちも踏まえ、ここで重要なのは岸田政権がこういった過去の北朝鮮のシグナルも含め、外交の突破口にできるかである。
安倍政権にはこういった発想が皆無だった。

そして、北朝鮮もバカではない。
少しでもまともな交渉相手を探していたのかもしれない。
仮に岸田政権下で日朝首脳会談が実現すれば、今も噴き上がっている首相公邸「忘年会事件」を吹き飛ばすどころか、岸田政権の支持率は未曾有の上昇基調に転じ、さらには東アジアの外交全体に大きな変化を与える「可能性」が生じる。
岸田首相はこの大きな果実を目の前に、怖れることなく遂行できるだろうか?

※日朝首脳会談実現の可能性について、YouTubeチャンネルで実施したアンケートの結果をお知らせします(2023.6.5 22:00現在)

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