Introduction:安倍首相は政治家としての度量に欠けていることもあり、メディアやインターネットで批判されることに耐性がありません。
特に、新型コロナウイルスの世界的な蔓延が日々深刻化する中で、安倍首相の打ち出す珍妙な政策に対し、インターネットではSNSを中心に大炎上となっています。
そんな中、安倍首相はいよいよインターネット規制に本腰を入れ出したのかもしれません。外務省に24億円もの予算を付け監視を強めているようです。
安倍首相は極めて巧妙にインターネットに対し締め付けを強めてゆくでしょう。果たして、日本は監視社会へと転がり落ちるのでしょうか。
SNSの噂が気になって仕方がない安倍首相
4月7日、安倍首相は首相官邸で記者会見を開き、7都府県に対し新型コロナウイルス感染拡大に関する緊急事態宣言を発令しました。その中で、最も筆者の注意を引きつけたのは、実はSNSに関する首相の発言です。
海外では、都市封鎖に当たり、多くの人が都市を抜け出し、大混乱と感染の拡大につながったところもあります。今、私たちが最も恐れるべきは、恐怖それ自体です。SNSで広がったデマによって、トイレットペーパーが店頭で品薄となったことは皆さんの記憶に新しいところだと思います。ウイルスという見えない敵に大きな不安を抱くのは、私も皆さんと同じです。そうしたとき、SNSは本来、人と人の絆(きずな)を深め、社会の連帯を生み出すツールであり、社会不安を軽減する大きな力を持っていると信じます。しかし、ただ恐怖に駆られ、拡散された誤った情報に基づいてパニックを起こしてしまう。そうなると、ウイルスそれ自体のリスクを超える甚大な被害を、私たちの経済、社会、そして生活にもたらしかねません。
2020年4月7日 安倍内閣総理大臣記者会見
安倍首相が指摘するように、確かにSNSによって拡散されたデマにより、トイレットペーパーやティッシュペーパーの買い占めといった現象が、全国の至る所で起こったのは事実です。
SNSは本来、人同士や社会と連帯してゆくためのツールであるはずが、ひとたび使用を誤ると恐怖に基づいたパニックを引き起こしてしまう、というのも確かに頷ける。
しかし、これらの言葉を字面通りに受け止めてはなりませんし、安倍首相の場合は特に気をつけなければなりません。
これは、明らかに安倍首相がSNSを非常に気にしていることを自ら白状したようなものです。筆者は今後SNSを中心としたインターネットに何らかの圧力が掛かる、といった悪い予感を覚えました。そして、その悪い予感はどうやら的中する気配なのです。
SNSでデマを飛ばしたら外務省に目を付けられる!
外務省は新型コロナウイルスへの日本政府の対応に関し、海外からのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)投稿を人工知能(AI)などで調査・分析したうえで、誤った情報に反論する取り組みを始める。
2020年度補正予算案に関連経費を盛り込み、補正予算成立後、速やかに実施したい考えだ。
集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の対応を批判する投稿が相次いだことを踏まえた対応。ツイッターなどの情報を分析する企業に委託し、主要20カ国・地域(G20)などからの書き込みを収集・分析する。誤った情報だけでなく、関心が集まる懸念事項があれば、日本政府が「正しい情報」を発信する。
~2020.04.07 毎日新聞『海外SNS投稿、AIで情報分析 政府コロナ対応巡り』~
ここに紹介するのは、4月7日の毎日新聞の記事です。
この記事によれば、外務省はSNS投稿などに対し、AI技術まで駆使して内容を調査分析し、誤った情報があればそれに反論することにしたというのです。そして、そのための予算として安倍政権は外務省に「24億円」もの予算を計上しました。
これは、主要20カ国といった「海外」を対象としており、ありていに言えば『日本について誤った内容が海外から投稿された場合、それは違ってますよ。本当はこうですよと、教えてあげる』とも受け取れ、一見何の問題もない、むしろ真っ当な対応だとすら思えてくるのですが、それは本当でしょうか?
では、外務省が作成した資料を見てみましょう。
外務省の作成した資料『緊急経済対策(令和2年度補正予算外務省所管分)【計1,028億円】』の赤枠で囲った箇所「我が国の状況や取組に関する情報発信の拡充【24億円】」には、次のような記載があります。
感染症を巡るネガティブな対日認識を払拭するため、外務本省及び在外公館において、SNS等インターネットを通じ、我が国の状況や取組に係る情報発信を拡充。
外務省資料『緊急経済対策(令和2年度補正予算外務省所管分)【計1,028億円】』
この資料を見ても分かるように、外務省は ”海外からの書き込み” については全く触れておらず、代わりに「感染症を巡るネガティブな対日認識を払拭する」と明確に謳っています。
このことから分かるのは、日本からの書き込みであってもそれが「対日認識を誤解させるようなネガティブな内容であれば対象になる」ということ。
端的に言えば、日本国内から感染症に関するデマをネットに書き込んだ場合、外務省から目を付けられる可能性があるということです。
大学教授の論文に外務省の報道官が反論した!
※外務省報道官、大鷹正人氏は3月2日付のニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、先に寄せられた上智大学教授、中野晃一氏の論文に反論を加えた。
安倍首相は外務省を使ったSNS封じ込めに乗り出すのか?
このことを予告するような出来事が、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙を舞台に繰り広げられていました。
◆ 出典記事 ◆
”Japan Can’t Handle the Coronavirus. Can It Host the Olympics?”
-How leaders’ sense of entitlement breeds indifference and incompetence.-
~2020.02.26 New York Times~
上智大学 国際教養学部の中野晃一教授は、2月26日付のニューヨーク・タイムズに ”Japan Can’t Handle the Coronavirus. Can It Host the Olympics?” と題した論文を寄稿しています。
タイトルを日本語に訳せば「日本はコロナウイルスに対応できない。オリンピック開催できるのか?」
副題には「リーダーの権利意識がいかに無関心と無能を育むか」とあるように、安倍政権による一連のコロナ対策を痛烈に批判する内容になっています。
この論文の中で中野教授は、野党が主張していた2019年度予算を変更し、コロナ対策費を盛り込むことを与党が拒否したことや、2月16日になってようやく専門家対策会議を開催したことに言及しています。
これらの事例については、今では多くの人々が共有し内容にも齟齬がないのですが、なんと外務省報道官の大鷹正人(おおたか まさと)氏が反論してきたことは極めて異例であり、驚くべきことでしょう。
◆ 出典記事 ◆
”Japan’s Efforts to Limit the Coronavirus Outbreak”
~2020.03.02 New York Times~
大鷹氏の反論のタイトルは ”Japan’s Efforts to Limit the Coronavirus Outbreak” ──「コロナウイルスのアウトブレイクを抑えるための日本の取り組み」といったところです。
大鷹氏は、中野氏による日本政府の新型コロナウイルスとの闘いについての表現はフェアではないとし、日本政府は最初の感染事例が確認された1月15日以前から、国民に注意喚起し水際対策のために積極的措置を講じたとして反論しました。
言論の自由か?政府の圧力か?
私たちは「言論の自由」の名のもとに、様々媒体を通じて意見を表明する自由と権利を有しています。もちろん、その意見に対する反論も自由であり、各々が自由闊達に切磋琢磨すれば良い。
とはいえ、国家というのは「権力」そのものであり、国家運営の構成員である政治家、省庁の官僚といった面々は「国家権力」を背景に日々の活動をしているわけですから、それらの行動には常に何らかのバイアスが掛かることは肝に銘じる必要があります。
これは権力の周辺に存在する人間の「良識」の問題です。例えば、言論の自由があるからと言って、特定の人間の意見に対し絶えず一方的に反論を試みることは適切ではありません。それは反論を受ける側にとって「圧力」になります。
今回の事例で言えば、中野教授に対する大鷹報道官の反論は、個々の意見の表明を適正に行っている点において問題にはならないと考えます。
しかし、大鷹報道官が今後も頻繁に反論を行ったり、他の有識者に対しても頻繁に反論を試みるようであれば、反論を受ける側は確実に委縮するでしょう。しかも、これが言論活動に慣れている大学教授ではなく、ごく普通の一般人である場合、外務省報道官の反論に晒されれば圧力を掛けられたと感じ、確実に委縮してしまうのは間違いありません。
だからこそ、権力を身にまとった者には「良識」が必要となるのです。しかし、当の安倍首相が、果たしてこの「良識」を理解できるのか?──筆者は非常に不安を感じています。
外務省に予算を付けてまでわざわざ ”言葉狩り” の真似事をするというのは、安倍首相の狭量な性格を表わしているようで、実に嘆かわしい行為ですし、このような行為は国益になどなりません。
要するに、自国民に後ろ指を刺されるような政策でなく、多くの国民が納得できる政策を威風堂々と打ち出せば良いのです。そういったこともできずに、外務省職員をあたかも秘密警察のごとく使う安倍首相は、実に情けない政治家であるということになります。
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