私たちはこのことを記憶し、これからも忘れないように努めるべきです。
一つの物語がカタストロフィ(悲劇的結末)を迎えるとき、まず最初に何が起きるのかといえば、中心人物らの責任の ”なすりつけ合い” です。
国家も一つの ”物語”、あるいは ”共同幻想” に過ぎない以上、そこには政治の中心にいる者たちによる ”なすりつけ” が起きますし、それは7月13日に現実化しました。
7月11日、菅官房長官は北海道千歳市で開催された講演会の席上、昨今の新型コロナの感染者急増について『圧倒的に「東京問題」と言っても過言ではないほど東京中心の問題になってきている』と発言──
これに憤慨した東京都の小池都知事は7月13日、『「GO TO キャンペーン」で、これから始まろうとしている中で、その辺の整合性を国としてどうとっていくのか、無症状の人も出る中どう仕切りをつけていくか、むしろ「国の問題」だと思う』と反論したわけです。
合わせて小池都知事は、GO TO キャンペーンは『冷房と暖房の両方をかけるようなもの』と、なかなか上手いことを言ったわけですが、この二人の応酬については小池都知事の方に分がありそうです。
菅官房長官は13日午後の定例記者会見でGO TO キャンペーンの今後の見通しについて問われ、『知事の個々の発言について、政府の立場でコメントすることは差し控えたい』と逃げの一手を打った上で、
『『GO TO キャンペーン』は適切に実施してゆきたい。』
延期についても『全く考えていません』と断言。
『感染防止策をしっかり講じながら社会経済活動を段階的に引き上げ両立したい』とまで言っているのです。
菅官房長官と小池都知事は、国会議員時代から仲が悪いと言われている間柄とはいえ、あまりに見苦しいやり取りです。こんな様子を見ていると、実は国も東京都も新型コロナにはお手上げの状態で、何をすべきなのか分からない状態なのではと疑ってみたくもなります。
東京都は9000億円にも及ぶ貯蓄が尽き、今後の都の運営は経済的に厳しい状況になる中で、国はまだ動かせる金がある分、利権活動に走ることで政権中枢部の政治家たちは自分自身を胡麻化しているのかもしれません。そして、東京都の小池都知事は新型コロナの感染者急増を ”夜の街” のせいにすることで自分自身を胡麻化している。
両者とも、日本では世界レベルに比べればまだまだ感染者や死亡者が少ない分、”偶然” にコロナが収束してくれることに期待しているのかもしれません。
そして、本当に感染がまた一旦収まると、待ってましたとばかりに例えば小池都知事がしゃしゃり出てきて、あたかも収束は自分の手柄だと言わんばかりに、得意の横文字を織り交ぜながら自慢し始めるのです。
そういうことを繰り返すことで国は少しづつ、しかし確実に擦り減ってゆく。そして本当に国が潰れた時には、こういう政治家たちは雲散霧消したかのごとく、跡形もなく姿をくらますのが世の常であります。
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