Introduction: 安倍首相は来る参院選の争点として「憲法改正」を挙げています。
そして、改憲について広く国民的議論を喚起すべきと訴えております。しかし、まず最初に憲法について学ばなくてはならないのは安倍首相本人だと考えます。
端的に申し上げて、安倍首相に憲法改正をさせるのは極めて危険です。
そのような折、大変興味深い書籍が世に出ていましたので、今回はこれを元に、安倍首相による憲法改正の是非について考えてみたいと思います。
その書籍とは、ジャーナリスト青木理氏による『安倍三代』です。
『安倍三代』他に類のない渾身のルポルタージュ
安倍首相の父親は、外務大臣を始め、数々の重責を果たした「安倍晋太郎」であることはよく知られています。
では、安倍首相の祖父はご存知でしょうか?
――そうです「岸信介」です。これも良く知られていますが、岸信介は母方の祖父です。
安倍首相の父方の祖父、つまり安倍晋太郎の父親は「安倍寛(あべ かん)」といい、実は彼も政治家であったことは、あまり知られていないのかもしれません。
『安倍三代』(朝日文庫、朝日新聞出版)は、ジャーナリストの青木理(あおき おさむ)氏とそのスタッフが、 安倍家のルーツとなる山口県を始め、所縁のある土地に実際に足を運び、また膨大な資料にも目を通し、安倍首相の系譜を三代にさかのぼって書き記した渾身のルポルタージュです。
『美しい国』の美しくない話
安倍首相が書いたとされる有名な本に『美しい国へ』がありますが、その中で、これまた有名なのが、以下に記した下りです。
高校の授業のときだった。担任の先生は、七〇年を機に安保条約を破棄すべきであるという立場にたって話をした。クラスの雰囲気も似たようなものだった。名指しこそしないが、批判の矛先はどうもこちらに向いているようだった。
わたしは、安保について詳しくはしらなかったが、この場で反論できるのは、わたししかいない。いや、むしろ反論すべきではないか、と思って、こう質問した。
「新条約には経済条項もあります。そこには日米間の経済条項がうたわれていますが、どう思いますか」
すると、先生の顔色がサッと変わった。《岸信介の孫だから、安保の条文をきっと読んでいるに違いない。へたなことはいえないな》――そう思ったのか、不愉快な顔をして、話題をほかに変えてしまった。
~ 安倍晋三『美しい国へ』(文春新書)~
ことあるごとに語られてきた、日米安保をめぐる若き日の安倍首相の ”武勇伝” です。
少しでも政治に詳しい方なら、この下りはゴーストライターが創作したフィクションだと思うかもしれませんが、このエピソードは一応本物のようなのです。
青柳知義氏の証言
『安倍三代』によれば、この社会科教師という方は実在し、1970年(昭和45年)から2001年までの約30年間、安倍首相の母校である成蹊高校で倫理と社会の教鞭をとられた、青柳知義(あおやぎ ともよし)氏がその人です。
ただし、『美しい国へ』で書かれているようは記述、”若き日の安倍氏に突っ込みを入れられ、『顔色がサッと変わった』” というのは完全なるフィクションでした。
私が(成蹊高校)着任した年は70年安保(運動)が盛り上がっていて、以前には東大の樺美智子さんが死に追いやられるということもあったので、その話は毎年していました。そして現代の最大の権力悪は戦争であると考え、そこで安保という話を出したと思います。
すると安倍くん(晋三)が立ち上がり、早口でこう主張したんです。『安保条約は、日本を防衛するのに必要だ。この条約を考える時、軍事協定ばかりに注目するのはおかしい。経済協力協定もあるではないか。この点について先生はどう考えるのか』と。私は『安保条約の柱は軍事協力協定であり、経済協力協定はこれに付随するものだ。両者は相容れない』と答えました。
安倍くんは不満そうでしたが、周囲の生徒とひそひそと話をはじめ、議論はそこで終わりました。
~ 青木理『安倍三代』(朝日文庫)~
岸信介を敬愛する安倍首相としては、安保に絡ませて若き日の武勇伝を創造したかったのかもしれません。
ただ実際は、先生に対し安保について軽く突っ込みを入れたところ、あっさりと切り返されてしまった、といった程度の話です。
議論を挑んだら論破されたといったレベルにも達していません。
それでも、青柳先生は若かりし安倍氏のエピソードを記憶していた、という点において稀なる存在であると言えます。
なぜなら、かつて安倍氏のクラスメートであったり、先生であったりした立場の方々は皆一様に安倍氏を記憶していないか、記憶していても特筆すべきエピソードなど何もなく、「特に優秀でもなければ、特にずっこけていたわけでもない」というのです。
端的に言えば、ほとんど印象にないようなのです。
憲法を知らない者が改憲しようとしている
それよりも、この青柳先生を絶望させたことがあります。
これは国会でも大騒ぎとなりましたが、憲法学の大家・芦部信義氏を、安倍首相が知らなかったことです。
――2013年の参院予算委員会で芦部信義について尋ねられた首相が「知らない」と答弁して波紋を広げましたね。
「あれにはびっくりしました。そんなことも知らずに政治家になり、憲法改正をしようとしているのかと悲しくなりました。われわれの教育が彼(晋三)に伝わらなかった、そういう忸怩たる思いはあります」
~ 青木理『安倍三代』(朝日文庫)~
この、安倍首相が憲法学を始めとして ”ものを知らない” というのは、安倍首相を語るうえで重要な要素となります。つまり、利口でもなければ馬鹿でもなく、極めて ”凡庸” だということです。
ここで安倍氏が大学生時代、母校の成蹊大学で教鞭をとられていた二人の教員の証言を紹介します。
佐藤竺氏の証言
一人目は、佐藤竺(さとう あつし)氏。
佐藤氏は安倍氏の所属ゼミの指導教授で、日本行政学会の理事長や地方自治総合研究所の所長も歴任しており、当時成蹊大学の看板教授として活躍された方です。
佐藤ゼミで安倍氏を知る成蹊大の元教員は、安倍氏がゼミの場で熱心に自分の意見を主張したり、リーダーシップを発揮して議論をリードしたような記憶が全くないと言うのです。
しかも、驚いたことに、「憲法改正や日米安保どころか、そもそも発言したのを聞いた記憶がない」といい、他のゼミ生徒に聞いても、皆も知らないようなのです。
加えて佐藤教授は、安倍氏が卒業論文で何を書いたのか、全く記憶にないそうです。出来の良い論文は手元に置き、そうでないものは処分されているようです。ちなみに、安倍氏の論文は見当たらないそうです。
加藤節氏の証言
二人目は、加藤節(かとう たかし)氏。
40年近くにわたり成蹊大で教鞭をとり続け、成蹊学園の専務理事も務めた成蹊大学名誉教授です。
成蹊大学は比較的小規模な大学とのことですが、加藤教授は安倍氏のことを「まったく覚えていない」と言います。
成績が「優」や、逆に「不可」であった場合は記憶に残るそうですが、そうでないということは、成績が「良」「可」の平凡な学生だったのだろう、とのこと。
加藤氏もまた、同僚や先輩に安倍氏のことを聞いてみても、皆「記憶にない」との答えが返ってきたそうです。
そして、こういった安倍首相を評して、次のような言葉を残しました。
「彼(晋三)は大学の4年間で、自分自身を知的に鍛えることがなかったんでしょう。だからいまの政権に言いたいことはたくさんあるけれど、最も大きいのは二つの意味で『ムチ』だということです」
――二つの「ムチ」というと?
「ひとつは『ignorant』という意味での『無知』。基本的な知識が欠如しているということです。もうひとつは『shameless』という意味での『無恥』。芦部信義を知らないなどというのはその典型でしょう。よくもあんな恥ずかしいことを平然と言えるものだと思います」
~ 青木理『安倍三代』(朝日文庫)~
若かりし日の安倍首相は、まるで ”透明人間”
青木理氏に言わせれば、若かりし日の安倍氏は、成蹊学園で過ごした「小・中・高・大」までの16年間、何かを深く学んだ形跡がなく、深く学んだと教員や周囲の人間にも認識されておらず、何かを学んだという印象すらも残していないことになります。
要するに、勉強ができるわけでもできないわけでもなく、敵もつくらず、大学の頃にはおそらく彼女もおらず、凡庸で目立たない、良いところの ”お坊ちゃま” だったわけです。
まるで ”透明人間” のようです。
そして、現実に憲法改正を目論んでいる安倍首相のことを改めて考えてみると、彼には改憲をするための見識、知識、教養というものが決定的に欠けているのではないかと思われるのです。
それが憲法に「自衛隊」を書き込む、といった幼稚な発想へと繋がり、決して憲法の原理原則を考えようとしない ”バカの壁” が安倍首相の前に立ちはだかっているような気がしてなりません。
「このような首相に改憲をさせても大丈夫なのか?」
日本国民はいま一度、立ち止まって我々の宰相について見極めをするべきだと考えます。
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