安倍首相「桜を見る会」では逃げ切っても宿命からは逃げ切れない!?

Introduction:残念ながら、安倍首相は「桜を見る会」疑惑から逃げ切りました。

野党の諸君は1月の国会でも引き続き「桜を見る会」を追及すると言い、1月衆院解散説も流れていますが、そこでも安倍首相は逃げ切り、解散もありません。

では、安倍首相の「逃げ切り勝ち」なのかと言えば決してそうではありません。
安倍首相は彼の「宿命」からは逃げ切れません。

今回は安倍三代にさかのぼり、安倍首相の「宿命」を解き明かします。

安倍首相の祖父、安倍寛(あべ かん)

安倍首相の祖父と言えば、誰しも「岸信介(しき のぶすけ)」と答えるでしょう。しかし、それは安倍首相の母方の祖父です。ここで取り上げたいのは安倍首相の父方の祖父、つまり安倍晋太郎のお父さんのことです。

あまり知られてはいませんが、安倍首相の父方のの祖父は「安倍寛(あべ かん)」といいまして、彼もやはり政治家だったのです。

安倍寛は1894年(明治27年)、現在の山口県長門市に生まれました。東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1928年(昭和3年)に一度は立憲政友会から総選挙に立候補するも落選。その後、日置村村長、山口県議会議員を経て、1937年(昭和12年)の衆議院議員選挙で初当選しました。

安倍寛を語る上で避けて通れないのは、1942年(昭和17年)の翼賛選挙でしょう。この時期は、近衛文麿政権下で「国家総動員法」が発令され、また、近衛文麿を総裁とする「大政翼賛会」が発足するなど、まさに日本がファシズムへとなだれ込んでいった国民統制下の時代です。

この体制翼賛体制は、その後日米開戦に踏み切った東条英機政権でさらに強化され、この体制を総選挙で具現化させるため、政府や軍部の政策に忠実な者を候補者として推薦し、そうでない者は徹底的な妨害を受け、排除されていったわけです。

安倍寛は社会の格差を憂い、徹底した平和主義を貫き通した人物で、地元住民からは神様のように慕われたことから、翼賛政治体制協議会からは推薦されることなく、選挙では激しい妨害工作や圧力を掛けられました。

私服の特高警察や憲兵隊が24時間体制で安倍寛に張り付き、彼を尾行し監視を続けました。演説で少しでも国策に批判的なことを言うものなら「弁士注意!」の罵声が特高から飛んできます。この時は、当時17歳の安倍晋太郎(安倍首相の父)でさえ、特高警察から執拗な尋問を受けています。

このような ”非推薦候補者” という立場に置かれながら、安倍寛は見事に二度目の当選を勝ち取ります。安倍寛が困難な立場に置かれれば置かれる程、地元住民は益々結束力を強くし、粉骨砕身して彼を応援したのです(この辺の人望の篤さは安倍首相とは完全に真逆です)

安倍寛の晩年は体調が芳しくなく、長年にわたり結核と脊椎カリエスに苦しめられることになります。
そして、1946年(昭和21年)、安倍寛はその生涯の幕を閉じます。直接の死因は心臓麻痺でした。享年51歳。

安倍首相の父、安倍晋太郎(あべ しんたろう)

安倍首相の祖父である安倍寛とは違い、父親の安倍晋太郎の名は今でも広く世に知られています。

戦時中は特攻兵として志願し、海軍の滋賀航空隊に入隊した安倍晋太郎は、特攻訓練を受けている最中に終戦を迎えました。

海軍除隊後は東京大学法学部に復学。大学卒業後は毎日新聞に入社し、政治部記者として永田町界隈を走り回っていました。

そして、毎日新聞入社2年後の1951年。運命の時を迎えます。
岸信介の娘・洋子との結婚です。というのも、実は、岸信介と安倍寛には元々交流があり、「あの安倍寛の息子ならば大丈夫であろう」と岸が安倍晋太郎をいたく気に入ったことで、両家の婚姻はめでたく成立したのです。

それでも岸信介はやはり「岸信介」です。
「俺は岸信介の女婿じゃない、安倍寛の息子なんだ」とは、安倍晋太郎が日頃よく口にしていた言葉です。

安倍晋太郎と洋子が結婚した時、岸信介は公職追放の身の上でしたが、1953年には衆議院選に立候補して当選。そして、1956年には自民党総裁選に名乗りを上げ、決選投票で石橋湛山に敗れたものの、石橋内閣の外務大臣に就任したのであります。

安倍晋太郎もこの時点で毎日新聞を退社し、外務大臣・岸信介の秘書官となります。翌57年、石橋湛山が病に倒れたため岸信介は第56代首相に、晋太郎は首相秘書官となりました。さらに1958年5月、安倍晋太郎はこの時実施された衆院選に山口1区から出馬。34歳の若さで当選を勝ち取るのです。

その後の安倍晋太郎の活躍は皆が知るところです。自民党の主要ポストは全て経験し、閣僚にいたっては、残すは「首相の椅子」だけと言われていました。

ところが、そんな晋太郎を病魔が襲います。
当初、病状は伏せられ、本人には「総胆管結石」と告げられました。しかし、本当の病名は「膵臓癌」

それでも晋太郎は胆汁を取り出すための管を体につけながら、精力的に選挙区を走り回ります。既に安倍晋三は晋太郎の秘書を務めていましたが、そんな晋三がへたばるほど、晋太郎は精力的に動いていたのです。

1991年4月18日、旧ソ連の大統領ゴルバチョフが来日するのですが、これは晋太郎との約束が発端となった訪問でした。晋太郎は痩せ細った体を隠すかのように、ワイシャツの下に真綿を入れて、ゴルバチョフとの会談に臨みました。
これが安倍晋太郎の最後の舞台となりました。

翌月の5月15日。安倍晋太郎は家族に看取られ永眠。享年67歳。

安倍首相は本当に逃げ切ったのか?

政権は、野党が求める衆参の予算委員会の集中審議に応じず幕引きを図る構えで、自民党幹部は「うまく逃げ切った」。だが、首相自身にまつわる数々の疑惑が晴れたとは言い難く、政権は新たな疑惑の発覚も警戒する。

「国民の皆さまから批判があることは十分、承知している」「これまでの運用を反省し、全般的に見直していく」…。この日、首相は踏み込みを極力避け、のらりくらりとした答弁に徹した。質疑を見守った自民幹部は「これでもう、首相が国会で追及される場面も時間もないだろう」、公明党幹部も「野党は弱い。首相が逃げ勝った」と言い放った。
~2019.12.3 西日本新聞『政権は自信「逃げ切った」 名簿流出なお警戒 桜を見る会』
※太字は筆者による

今国会は12月9日に会期末を迎える予定ですが、自公の与党側は延長しない方針を表明しています。これに対し「桜を見る会」疑惑追及のため、異例ともいえる野党側からの国会延長の要請が為されています。

では、与党は国会延長に応じるのかと言えば、そうはならないでしょう。安倍首相の最大の懸案である日米貿易協定も無事承認も済んだことから、安倍首相は ”逃げ切り” を図る上でも、国会は予定通り9日に閉会となるはずです。

また、野党は1月からの通常国会から引き続き「桜を見る会」疑惑を追及してゆく構えで、これに対しては「1月衆院解散」も囁かれておりますが、筆者は1月の解散もないと考えています。

安倍首相は来年8月に「首相を辞任する」と予想しています。

◆ 関連記事 ◆
 『安倍首相への「3つの疑問」 衆院解散をするか? 総裁4選はあるか? いつまで続けるか?』

では、これで安倍首相は ”桜疑惑” から完全に逃げ切ったのかと言えば、そうは問屋が卸しません。

「桜を見る会」疑惑の少し前から、安倍首相には何かに追い詰められている気配が漂っておりました。国会で執拗にヤジを飛ばしたり、指差し事件を起こしたりです。「共産党!」なんて叫びもありました。

こういったことは人が ”躁状態” の時に起きがちです。そして、人が躁状態になるのは治療薬を多めに投与された時です。
もしかしたら、安倍首相の薬が効かなくなってきているのではないでしょうか?
そうです、難病に指定されている「潰瘍性大腸炎」の薬です。

上述したように、安倍寛は51歳で他界し、安倍晋太郎は67歳でこの世を去っています。安倍家の男子は総じて「早世」だとの印象を持ったのは、何も筆者だけではありますまい。

安倍首相は今年の9月で「65歳」になりました。
「潰瘍性大腸炎」は完治する病気ではありません。安倍家が本当に早世の家計だとしたら、安倍首相に残された時間はそう多くはないはずです。

桜疑惑から逃げ切っても、自身の宿命から逃げ切れないとする所以は、まさにここにあります。

※補足:安倍寛、安倍晋太郎、安倍晋三の画像は向井理『安倍三代』(朝日文庫)より引用。

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