安倍晋三でもわかる憲法のはなし

安倍晋三でもわかる
憲法のはなし

Introduction:野党より提出された安倍内閣不信任決議案も否決され、今国会は6月26日に閉幕しました。ステージは一気に参院選へと突入です。
安倍首相は不信任案が提出されても、衆議院解散・総選挙には踏み込みませんでした。そして、来る参院選において「憲法改正」を争点とすることを改めて表明しています。
安倍首相は憲法9条の改正に意欲を示していますが、実は、安保法制の成立により実質的には改憲されたも同様の状態になっています。
それでも安倍首相が改憲にこだわるのは、改憲したことで憲政史上に名を残すという強い欲望があるからです。安倍首相にとっての改憲は重要なセレモニー、自身が首相であったことの何よりの証となるものです。

戦後から日米安保条約成立まで

吉田茂は再武装を拒絶した

日本国憲法制定時の1946年6月28日、衆議院憲法改正特別委員会において、当時総理大臣の職にあった吉田茂は、憲法第9条に対する考えを次のように述べていいます。

「戦争放棄に関する憲法草案の条項については、国家正当防衛による戦争は正当であるとみなされているようだが、私はこのようなことを認めることは有害であると思う。近年の戦争の多くは国家防衛の名において行われたことは明確な事実である。故に正当防衛を認めることは戦争を誘発する原因となると考える。」

憲法9条の基本コンセプト

①日本国憲法 第9条1項は「国権の発動たる戦争」を無条件で「永久にこれを放棄する」とはせず、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とみなし、自衛のための戦争までは放棄していない。

②とはいえ、第9条2項で「陸海空軍その他の戦力」を保持せず、「国の交戦権」も否定されているため、自衛戦争も結果として放棄されることになる。 

このように憲法制定当時の政府は、9条に対して「第2項全面的放棄説」の立場をとっていました。

しかし、1949年、ソ連の原爆実験の成功によるアメリカの原爆独占体制の崩壊、そして、同年の中華人民共和国の成立、さらに、翌年の朝鮮戦争の勃発による極東の軍事バランスの変動により、アメリカは対日本における政策の転換を余儀なくされます。

これ以後、日本国憲法は、アメリカの都合と圧力により大きく変容するのです。

朝鮮戦争

1950年の朝鮮戦争の勃発により、連合国軍最高司令官マッカーサーは、日本に対し「警察予備隊」の創設、及び「海上保安庁」の増員を指令しました。それにより、警察予備隊約7万5千人、海上保安庁の隊員約8千人が組織されます。

当時の日本政府は、この警察予備隊に対し次のような答弁を行っています。

「日本の治安維持のため、必要な力しか持っておらず、戦力には該当しない」

しかし、警察予備隊は米軍により訓練され、機関銃、バズーカ砲、戦車から航空機まで装備していました。

日米安保条約

1951年には対日講和条約と共に「日本とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)」が締結され、翌年4月に発効しました。
これはその5条で「日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別又は集団的自衛権の固有の権利を有すること、及び日本国が集団的安全保障取極めを自発的に締結することができる」という内容のものでした。

この条約を受け、1952年に「保安隊」及び「海上警備隊」が創設されます。
この時の保安隊の人員は約11万人、海上警備隊は約7500人です。
保安隊、海上警備隊に関しては1952年、内閣法制局が憲法9条第2項の「戦力」についての政府統一見解を発表しています。

「保安隊、及び警備隊は戦力ではない。これらは保安庁法第4条に明らかなごとく、『わが国の平和と秩序を維持し人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊』であり、その本質は警察上の組織である。
従って戦争を目的として組織されたものではないから、軍隊ではないことは明らかである。また、客観的にこれを見ても保安隊等の装備編成は決して近代戦を有効に遂行しうる程度のものではないから、憲法の『戦力』には該当しない。」

自衛隊の設立から安倍政権まで

それでも、この保安隊は4つの部隊から編成され、それら部隊の機動力は重戦車をも保有し、旧日本陸軍の1個師団の6~8倍に相当するとされていました。
また、海上警備隊にいたってはフリゲート艦18隻、上陸支援艇50隻を米国から貸与され、着実に戦力を強化させていったのです。

そして、1954年3月8日、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結されます。
これにより、保安庁、保安隊、海上警備隊を抜本的に改編する「防衛庁設置法」と「自衛隊法」が公布され、ここに日本の「自衛隊」が出現することになりました。

専守防衛

ここで政府は、憲法第9条第2項の戦力の概念をさらに大きく変更しています。

「国家が自衛権を持っている以上、国土が外部から侵害された場合に国の安全を守るために国土を保全する実力を持つことは当然のことである。憲法がそのような意味で今日の自衛隊のような国土保全を任務とし、そのために持つ自衛力を禁止しているというのは考えられない。すなわち第2項における陸海空軍その他の戦力は保持しないという意味の戦力はこれに当たらない。」

いわゆる「専守防衛」の概念でです。
憲法も含めた広義の意味での「法」とは、何も字面を額面通りに受け止めるだけが能ではなく、その解釈のせめぎあいの場でもありますので、「専守防衛」という解釈が登場すること自体は批判されるべきものではありません。

そして、現行の憲法の現実主義な観点からすれば、「専守防衛」が解釈されるぎりぎりの地点であるというのが筆者の考えであり、これまでの日本政府もそのような立場をとってきました。これを超えると明らかに違憲状態となります。

その意味では、安倍政権下で成立した現在の「安全保障関連法案」も照らし合わせて考えてみれば、既に違憲状態となっているのは明白なのです。そのような安倍首相率いる自民党になぜか票が集まること自体、政治の劣化であり、同時に国民の劣化をも指し示しています。

政治は国民の考えや行動の反映である

サミュエル・スマイルズが『自助論』で指摘したように、《政治とは、国民の考えや行動の反映に過ぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルまで引き上げられる。つまり、国民全体の質がその国の政治の質を決定する》からです。


岸信介 ~昭和の妖怪~

しかしながら、1958年、当時の首相 岸信介はこうまで言い切りました。

「核兵器の発達いかんによっては、今言うように防衛的な正確をもっておるような兵器であるならば、これを憲法上禁止しておるとは私は解釈しない。」

残念ながら、日本国民は妖怪(岸信介)に ”たらしこまれた” のかもしれません。そして、その孫である安倍首相が現在最も執着しているのが憲法改正です。

あらかじめ断っておきますが、筆者も改憲論者の一人です。ただし、安倍首相が考えるような憲法9条に自衛隊を明記する、といった稚拙な改憲など到底容認できません。9条を変えるのであれば、今後の日本の将来を見据えた抜本的な改正でなくてはならないと考えるからです。安倍首相の目論見通りに事が進捗すれば、日本国憲法は間違いなく死文化します。

日本国憲法は既に死んでいた?

日本国憲法が憲法の体を保持していたのは、実は公布後わずか3年程なのです。それ以後は、時の権力者によってその実態が歪められ、しかも、1950年代には核兵器の保有すら認める解釈改憲が主張されていたとは呆れるばかりです。

防衛的な核兵器とは一体どのようなものか? 果たしてそのような都合の良い兵器など、この世に存在するのか?
原爆投下の痛手冷めやらぬ時代において、あのような権力者の発言は、それこそ神をも恐れぬ傲慢な発言だと言わざるを得ません。

日本国憲法は、常に時代の権力者により、かくも歪曲され続けてきたのです。

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