Introduction:福島県の地方紙『福島民報』に、8月14日、大変興味深い記事が一面トップに掲載されました。タイトルは「靖国の陛下参拝要請断る」
靖国神社が昨年の秋、2019年の神社創立150年に合わせ「行幸請願(ぎょうこうせいがん)」を行い、宮内庁に断られていたというのです。
靖国神社は戊辰戦争の戦死者たちを弔うことを目的に、明治天皇の意向で創建された神社ですが、現在においてなぜ、天皇陛下は靖国を参拝しないのでしょうか?
かつては天皇陛下が靖国神社を参拝していた
かつて、天皇陛下の靖国神社参拝は創建から50年の節目はもとより、それ以外でも行われていましたが、1975年の昭和天皇による参拝を最後に、それ以降は行われていません。
終戦直後の東京裁判(極東国際軍事裁判)による「A級戦犯」の合祀(ごうし:共に祀られていること)が、天皇不参拝の理由となったことが当時の側近のメモで明らかになっています。
A級戦犯とは、東京裁判で「平和に対する罪」、つまり、「侵略戦争」を指導したという理由で有罪判決を受けた28名を指します。
この28名の内、死亡や精神疾患により免訴となった3名以外の25人が全員有罪となり、東条英機・元首相ら7名が死刑(絞首刑)、荒木貞夫・陸軍大将ら16名が終身刑、残る2名がそれぞれ7年、20年の懲役を言い渡されました。
では、なぜ、A級戦犯が合祀されたことが理由で、天皇陛下は靖国を参拝しなくなったのでしょうか?
靖国を参拝すると歴史修正主義者と見なされる
「戦争犯罪者を裁くといった東京裁判は大いなる矛盾である。それを言ったら、一般人を無差別的に殺戮した東京大空襲は、戦争犯罪ではないのか? 広島・長崎への原爆投下は、戦争に名を借りた無差別大量殺人ではないのか?」
そのように主張する方々が、日本の保守層を中心に数多く存在します。
そして、彼らの主張は完全に正しいと言えます。
アメリカ合衆国も日本同様、戦争犯罪を犯しているのです。
しかし、戦争裁判は事の是非を追及するところではありません。
端的に言えば、”勝者が敗者を裁く” 場です。それ以上でも以下でもありません。敗戦国は戦勝国に吊るし上げられる宿命を負います。
日本は、1951年に署名され1952年に発効した「サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)」により主権を回復し、連合国との戦争状態が終結することで国際社会に復帰することができました。
そのサンフランシスコ講和条約の中で、日本は東京裁判の「判決」を受諾している、ということが大きなポイントです。
東京裁判は詭弁であり、アメリカにも戦犯がいるにもかかわらず、敗戦国である日本はこれを受け入れたのです。それこそが現在に至る戦後国際体制なのです。
仮に日本が「東京裁判の結果など認めない!」と言って、騒ぎだしたらどうでしょう?
それは、戦後の日本という国家を国際的に承認させた条件そのものを転覆させることになります。それは、国際社会からの孤立であり、国際社会への挑戦であり、場合によっては国際社会への ”宣戦布告” と見なされるかもしれません。
少なくとも、”歴史修正主義” と見なされるでしょう。日本の首相による靖国参拝が、中国以外の国からも非難を浴びるのはそういった理由によるものです(もちろん、中国のプロパガンダもありますが・・・)
昭和天皇・マッカーサー会見
ダグラス・マッカーサーがGHQの最高司令官として日本に降り立ち、昭和天皇に謁見する際、マッカーサーは「昭和天皇はきっと命乞いをするに違いない」と思っていました。
しかし、実際はそうではありませんでした。
「今回の戦争の責任のすべては朕にあるのであり、日本の国民に罪はない。よって、責任のすべては朕一人がすべて引き受ける」
そういった趣旨のことを、昭和天皇はマッカーサーに告げたのです。
このことにマッカーサーは大いに感動したと言われています。そして、次第に昭和天皇に傾倒してゆく中で、マッカーサー自身、日本の統治に天皇陛下は欠くことができないことを確信するに至るのです。
マッカーサーによる有名な言葉があります。
「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人は生徒の時代で、まだ12歳の少年である」
もちろん、”12歳の少年” の中に、昭和天皇は含まれていません。
昭和天皇とマッカーサーによる秘密会談
昭和天皇とマッカーサーは11回にわたり秘密会談をしていたことが、今では史実として分かっています。
そして、1947年5月6日の第4回目の会談では、次のようなやり取りがありました。
さて、いまや「象徴天皇」となったはずの天皇とマッカーサーの議論は冒頭から新憲法第九条の問題に集中した。
まず天皇が「日本が完全に軍備を撤廃する以上、安全保障は国連に期待せねばなりませぬ」と述べたうえで、しかし「国連が極東委員会の如きものであることは困ると思います」と、四大国が拒否権をもつ極東委員会を引き合いに出して、事実上は国連に期待をかけられない旨を語った。これに対しマッカーサーは「日本が完全に軍備を持たないこと自身が日本の為には最大の安全保障であって、これこそ日本の生きる唯一の道である」と第九条の意義を説き、国連についても「将来の見込みとしては国連は益々強固になって行くものと思う」と、天皇とは異なる評価を展開した。
ここで天皇は痺れを切らしたかのように、「日本の安全保障を図る為にはアングロサクソンの代表である米国がそのイニシアティブをとることを要するのでありまして、その為元帥の御支援を期待しております」と ”本筋” に切り込んだ。
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)
つまり、昭和天皇は戦後の日本の統治を ”アングロサクソン代表” のアメリカに求めたのであって、そのようなアメリカを中心とする戦後の国際体制が昭和天皇の望むところであったわけなのです。
上述したように、サンフランシスコ講和条約において東京裁判の結果を日本は受け入れているわけですから、昭和天皇がA級戦犯が合祀されている靖国を参拝することは、A級戦犯が ”戦争犯罪者” であることの否定、つまり、昭和天皇が望んだ戦後国際体制の否定に繋がりかねないので、当然、参拝は見送られるはずなのです。
事実、1975年の参拝を最後に、A級戦犯が合祀された1978年以降は昭和天皇を始め、その後を継いだ今上天皇(明仁)、現在の今上天皇(徳仁)においても靖国神社を参拝することはなくなりました。
――なぜ、天皇陛下は靖国神社を参拝しないのか?
それは、A級戦犯が合祀される靖国を参拝することは戦後の国際体制を否定することであり、そして、そのような戦後国際体制を望んだ一人が、他ならぬ「昭和天皇」であったからです。
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