被災地から自殺者を出してはいけない!~なぜ被災地で自ら命を絶つ人がいるのか?

台風19号の被害で、救助隊ヘリが浸水した住宅付近を飛行し、避難民を捜索(神奈川県川崎市)
Photo by : NEW YORK TIMES / Yohei Kanasashi/Kyodo News, via Associated Press

Introduction: このたびの「台風15号」「台風19号」そして、その後の豪雨被害において、とても危惧していることがあります。

それは、一連の台風被害・豪雨被害によって一命を取り留めた被災者の中から、自殺者が出てしまうことです。

実は、東日本大震災の時でも、福島県だけで100名近くもの自殺者を出しています。今回、そのような悲劇が繰り返されるような、悪い予感がしています。

台風通過後も追い打ちをかけるように大雨が降りしきり、にもかかわらず 政府の対策は全く覚束なく、復興はボランティア頼みといった現実はあまりに辛いと言う他ないからです。

「東日本大震災」九死に一生を得ても自殺した人々

2011年3月24日 岩手県の「陸前高田市第一中学校」に設けられた避難所の掲示板
Photo by : NEW YORK TIMES
” Missing persons signs are posted at the shelter at Takata Daiichi junior high school in Rikuzentakata. ”

突然の大震災、大事故といったような命に関わる状況に直面した時、私たちの脳内では多量のアドレナリンが分泌され、日常では考えられないような ”興奮状態” へとシフトします。

言わば人の防衛本能のようなものですが、この本能のお陰で人は臨戦態勢となり、目の前の危機に対し逃避や戦うことによって不利な状況を打開することもできるわけです。

このような興奮状態にある間は、人はたいへん気丈に振舞うこともできます。親兄弟を亡くしても他人からの励ましに笑って答えることもできるし、逆に、愛する者のためには命を投げうって、無謀とも思える行為に及ぶこともあります。

しかし、この便利なシステムも永続するわけではありません。
何週間も何ヵ月も興奮状態にあったら身が持ちません。長くとも1週間といったところでしょうか。よって、いざ興奮から冷めたとき、そのゆり戻しも大きなものになる可能性があると考えられます。

報道されることは極めて少なかったのですが、実は、2011年3月に起きた「東日本大震災」の際、被災地で自殺する人々が存在したという事実があります。

多くの人が亡くなり、体験したこともない未曾有の災害で九死に一生を得たにも関わらず、なぜ人は自ら命を絶つことができるのか?
――そのような疑問が頭をよぎりました。

福島県飯館村では老人が自殺した

東日本大震災の爪痕が人々の記憶から風化しようとしていた、2018年の2月。
東京電力に対し、損害賠償を求めた訴訟の判決が福島地裁で下りました。
訴訟を起こしたのは福島県飯館村で自殺した方の遺族です。

亡くなったのは飯館村に住んでいた大久保文雄さん。
私たちにとって衝撃なのは、亡くなった当時の大久保さんの年齢でしょう。
――大久保さんは、当時「102歳」で自殺してしまったのです。

この訴訟に関しては主要紙を始めとして広く報道され、東京新聞では社説にも取り上げられました。

飯館村は原発事故の甚大な放射線被害を受けた地域の一つで、避難区域に指定されたのが2011年4月11日。当時6千人ほどの人口だったこの村が、避難指示により廃墟と化しました。

避難指示は大久保さんにとって『死ね』と言われるのと同じこと。――遺族はそのように大久保さんを語ります。
飯館村に生まれ、1世紀もの間この村で生きた大久保さんにとって、村を離れるのは、あるいは死ぬ以上に苦しかったことかもしれません。

「ちいと俺は長生きしすぎたな・・・やっぱりここにいたいべ」
そう語った大久保さんは両手で頭を抱えたまま俯き、二時間以上もテレビの前でうなだれていたといいます。
翌日、自室で首をつって自殺しているのを家族が発見しています。

東電による原発事故と、大久保さんの自殺との因果関係を認めた福島地裁の金沢秀樹裁判長は判決に際し、100年に及ぶ大久保さんの人生を次のように語っています。

「結婚や八人の子の誕生と育児、孫の誕生を経験し、次男の妻、孫と生活した。村の生活は百年余にわたり、人生そのもので家族や地域住民との交流の場だった」

なぜ被災地で自ら命を絶つ人がいるのか?

台風19号の被害で、泳ぎながら救助に向かう警察官(福島県いわき市)
Photo by : NEW YORK TIMES / Kim Kyung-Hoon/Reuters

東日本大震災や原発事故の関連自殺者は、厚労省の調べによれば2017年までに福島県で「99人」にも上っていることが分かっています。
これは、岩手県や宮城県の倍の数字です。

先般の「台風15号」「台風19号」では「89名」もの方が亡くなり、そのうち福島県が「30名」と最も多い犠牲者を出しました。

今、筆者が最も危惧しているのは、今回の一連の台風被害・豪雨被害によって一命を取り留めた被災者の中から、自殺者が出てしまうことです。
台風通過後も追い打ちをかけるように大雨が降りしきり、にもかかわらず政府の対策は全く覚束なく、復興はボランティア頼みといった現実はあまりに辛いと言う他ないからです。

現実に、東日本大震災では福島県だけで99人もの自殺者が出てしまいました。

極めて不謹慎な言い方ですが、もし、東日本大震災において彼らが自殺しなかったならば、すべては「単純明快」であったかもしれません。未曽有の大震災に対して、復興という人間の勝利と救済で物語が収束されてしまうからです。

私たちのほとんどは、その軽薄さゆえに、この「単純明快」さにすがりつこうとし、そのことで安心しようとします。しかし、事態は何も収束することなく終わってもいない。

東日本大震災に際して自殺した人々、先の大久保さんも含めて、彼らは自分自身の肉体を粉々にすることで、軽薄な私たちの「単純軽快」さを粉々に打ち砕いたように思われるのです。

連日TVで報道される被害状況。
そこには政治的な茶番劇を土台に、あらゆるタレントと知識人と評論家が総動員され、さながら豪雨被害バラエティのようです。

つまり、災害現場では誰かが死に、誰かが生き残り、そしてそれを傍観する誰かが悲しみ、いづれ ”復興” という時が訪れれば「単純明快」なのです。そして、誰もがそれを望んでいます。

しかし「被災地で自ら命を絶つ人々」は、そう考えてはいないでしょう。そんな「単純明快」さなど絶対に受け入れたくないはずです。
事態など何一つ好転せず、望むとの望まぬとに関わらず、いつのまにか悲劇の人といった立ち位置に ”立たされる”。

「被災地で自ら命を絶つ人々」は、そんな日本全体を覆うような「軽薄」さに決着をつけるために自死を選択するように思われます。

当然、そこにはTVでの仮想現実と、本当の現実との大きな乖離が存在します。
そんな中で、私たちは何を考え何をすべきなのか?

実はこれが最も大きな課題なのですが、悲劇的なのは、実際に私たちも同じような当事者にならなければ永遠に分からないであろうことです。

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コメント

    • 吉崎和敏
    • 2019年 10月 28日
    吉崎です。あまりにも、ヒドイ、仕打ちです。日本政府は、安倍総理は、おそらく、死に体だと、思います。絶対に。以上。
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