追い詰められた安倍首相
安倍首相の身辺は、まさに”火の車”である。
学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る問題では、昭恵夫人や複数の政治家の関与が財務省の決裁文書から削除される「改ざん」が明るみとなり、また、同省理財局職員による土地のゴミ撤去については学園側を口裏合わせに巻き込もうと図った「隠ぺい」工作も発覚した。
また、学校法人「加計学園」の獣医師学部新設問題に当たっては、愛媛県が作成した文書に首相秘書官が「首相案件」と発言した記述が見つかり、さらには安倍首相自らが加計孝太郎理事長と会食した際、獣医学部に対する何らかの便宜を図ろうとしていたことを伺わせる記述も存在している。
これら公文書に関わる問題は「文」の領域に留まらない。
次々と白日の下に晒された自衛隊の「日報」問題。これは「武」の領域に属するものだ。
南スーダンの国連平和維持活動(PKO)の日報に引き続き、これもこれまでないとされてきたイラク派遣の際の自衛隊の日報が、実は存在していたことが明らかになっている。
今回取り上げるのは、この自衛隊の「日報」についてである。
自衛隊「日報」隠ぺいの何が問題なのか
普通のサラリーマンが「日報」と聞くと、何を連想するだろうか。
業務日報や営業日報、配送業を営む物流企業では運転日報といったものもある。いづれにしても一日の業務報告には変わりなく、ある意味、惰性で書いているようなケースもあり、一般的には価値のある文書とは見なされてはいないように思われる。
しかし、自衛隊の日報となると話は違ってくる。言うまでもなく自衛隊は戦闘行為、つまり人間の生死に関与する活動を担っているからだ。しかも今回明るみに出たのは、戦闘地域と国際的に見なされている南スーダンやイラクであるから問題は深刻である。そして、このイラク派遣については、一般にはあまり知られていない自衛隊員の生死に関わる問題が横たわっているのだ。
『イラク日報 陸自が隠蔽』といった大見出しが新聞の第一面を賑わせたのは4月5日のことだった。
政府がこれまで「ない」としていた陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が見つかったのである。しかも、見つかってから約一年間も隠ぺいされ、ようやくここにきて小野寺防衛相に報告が上がったというのだ。これは文民統制(シビリアンコントロール)崩壊の象徴とも言える。
ちなみに、自衛隊の海外活動について、例えばそれがPKOの場合、参加要件がPKO協力法によってある程度明確化されている。これは現地での武力行使を最小限に抑えようとする措置でもある。
つまり、紛争当事者間の停戦合意がなければ自衛隊が派遣できないようになっており、武力行使の可能性を極力低めようとする意図をそこに見ることができる。
一方、「イラク特措法」や「テロ特措法」の場合、日本の独自判断による海外派遣が名目となっているため、紛争当事者間の停戦合意を派遣条件としていない。ここに武力行使の可能性が跳ね上がる余地を生み出すことになり、それを回避するためにも派遣地域は「非戦闘地域」に限るとされてきた。
ところが現実のイラク派遣では、陸上自衛隊の派遣地サマワにおいて、実に14回にもわたりロケット弾攻撃を受け、さらに即席爆破装置(IED)による攻撃も受けるなどして陸自車両が破壊されるといった被害も出ていたのである。
[参考資料:http://www.a-koike.gr.jp/wp/wp-content/uploads/2014/07/20140715_03.pdf]
2004年1月、先遣隊長としてイラク・サマワに派遣された「ヒゲの隊長」こと佐藤正久氏は、派遣当時自衛隊を現地で戦争状態に突入させる意図があったことを告白している。
このことはTBSのニュースでも放映され、物議を醸し出すこととなった。
[参考資料:http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200708141811142]
自衛隊員はイラクで死んでいる
2004年の自衛隊イラク派遣には奇妙な点がいくつかある。
陸上自衛隊の先遣隊30名のうち、2名がサマワに到着した翌日には早々に日本へ向け帰国している。
これはサマワは安全であるといった報告書を政府与党に提出することが目的であった。しかし、「たった一日で報告書が書けるはずがない。事前に日本で作成しておいた文書を持って出発したのだろう。これがシビリアン・コントロールと言えるのか?」と言った者もいる。これは元幕僚長の言葉である。
驚くべきことは、海外派遣において不審死を遂げた自衛隊員が少なからず存在することである。
実はこれこそが、これまでイラク派遣の日報が隠ぺいされてきた理由であると筆者は考えている。
つまり、インド洋やイラクなどへの海外派遣任務に就いた延べ約1万900人の自衛隊員のうち、16人が在職中に自殺している。さらに驚いたことに、死因不明者が12人も存在していたことが2007年11月13日、政府が閣議決定した答弁書で明らかになっているのだ。
これは、同年11月2日、社民党の照屋寛徳・衆議院議員の質問主意書に対する回答である。
政府答弁書によると、テロ対策特別措置法に基づきインド洋に派遣された海自隊員は約6年間で延べ約1万900人。
イラク復興支援特別措置法に基づく陸、海、空自隊員の派遣人数は約4年間で延べ約8800人に上る。
このうち在職中の死亡者は計35人で、内訳は海自20人、陸自14人、空自1人。うち自殺者は海自8人、陸自7人、空自1人で、それ以外は病死が計7人、事故死・死因不明が計12人という。
答弁書は派遣と死亡の因果関係に関し「一概には申し上げられない」と答弁。退職後の自殺者数については「把握していない」というのだ。
[照屋寛徳氏の質問主意書:https://bit.ly/2vgNSnd]
[上記質問主意書に対する政府の回答:https://bit.ly/2qACn4j]
圧倒的違和感を感じる政府の答弁である。
イラクを始め、自衛隊の海外派遣では「16人の自殺者」と「12人の死因不明者」を出しているのだ。これら「28名」は本当に自殺であったり、本当に死因が分からないものだったのだろうか。
特に「12人の死因不明者」とは直接的、あるいは間接的に関わらず、実はサマワでの爆撃の犠牲者なのではないかと疑念を抱くのは、何も筆者だけではあるまい。
このような実態が何を意味しているかは明白だ。
現在においてすら、事の重大さは曖昧にされ、まるで忘れたかのように更なる追求がなされていない。
防衛省が「防衛庁」から格上げとなったのが、上述したやり取りがなされる前の、2007年1月9日である。
ちなみに、当時の首相は安倍晋三氏であったことを一言つけ加えておく。
小泉純一郎氏が「自衛隊の活動は戦闘地域では行わない」と詭弁を弄していたように、当時の安倍晋三氏もまた「自衛隊ではたった一人の死者も出してはいない」と妄言を吐いていたのである。
そして今後の展開は、隠ぺいされてきた日報の具体的な内容が公開され、亡くなった自衛隊員の本当の原因と責任問題が国会で追及されることになる。これまで無関心であった日本国民もセンシティブにならざるを得ない問題である。
これにより、安倍政権崩壊も秒読みの段階に突入するだろう。
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