【女性蔑視】なぜ森喜朗は失言を繰り返すのか?これぞ森喜朗人生劇場だ!

国内社会
Introduction:オリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が、また ”やらかして” しまいました。
森会長の「女性がたくさん入っている理事会は、時間がかかる」との発言は、日本国内のみならず、海外にまで広がった波紋は留まることをしりません。
この男尊女卑、女性蔑視の発言は、森会長が「ジェンダー」を全く理解していないことの現れであり、この一件についてはJOC理事であり柔道のメダリストでもある山口香さんが明確に語っています。
山口さんはこの問題について、「これまでの森会長の生き様や成功体験と結びついているのでは?」とした上で、「森会長は心から謝ってはいない。
もし、謝ったら過去の自分を否定したことになるからだ」
と、とても鋭い見方をしています。これは、筆者も山口さんと同意見です。
つまり、今回の失言に限らず、これまでの森会長の問題発言の全ては森会長の辿った人生を振り返れば原因が分かるのではないでしょうか?
なぜ、森喜朗会長は失言を繰り返すのか?
今回はこの謎に決着をつけたいと思います。

森会長は「女に政治を任せたくない」と思っている!?

上述の通り、森会長の数々の問題発言は、彼の人生を辿れば分かるのではないかと考えます。
そして、幸いなことに森会長の人生を理解するための格好のテキストが存在します。それが森喜朗会長による『私の履歴書 森喜朗回顧録』です。

『私の履歴書』は日本経済新聞の連載読み物として有名ですが、これは、2012年に連載された内容を大幅に加筆・修正し1冊の本にまとめたものです。これは森喜朗という人間を知る上での必読の本となります。

この本の特筆すべきは、出だしから ”過激な描写” が描かれている点にあります。
ちなみに、森会長は75歳であった2012年11月の衆議院解散で政界を引退しましたが、本当はもっと前から引退したかったようです。

実は私は前回選挙の時に70歳で一応の区切りをつけ、引退するつもりだった。元首相の福田康夫さんと「そろそろ潮時だから一緒に辞めよう」と話したこともあった。ところが私と福田さんの選挙区に民主党が「小沢ガールズ」を刺客に立てて風向きがおかしくなった。
「若い女性が出たので逃げた」と言われたくない。「政権交代の風圧を防ぐのは私しかないだろう」。そんな思いもあって私は引退し損なったのである。そうした経緯があったので、前回の当選以来、私はずっと引退表明の時期を探っていた。

『私の履歴書 森喜朗回顧録』(日本経済新聞出版社)P11
 ※太文字は筆者による


このように、この本では突如として女性に対する偏見が登場します。要するに、森会長は引退しようと思っていた矢先、急に自分の選挙区に女性が出たということで「こんちくしょう!」と思ったのでしょう。そのために、引退を撤回したと言っているのです。

これが女性でなく、男性でしたら森会長はすんなり引退していたのではないか?つまり、「女になんか政治を任せられるか!」といった男尊女卑、女性蔑視の感情がこの描写にありありと見て取れるわけです。
さらに、女性に対する偏見は奥さんのとの ”なれそめ” でも遺憾なく発揮されます。

忘れもしない昭和36年(1961年)11月2日、私は牧智恵子と結婚した。早稲田に在学中、留学生との交流を目的とした「国際学友会」という団体があった。そのパーティーで私は色の浅黒いちょっとエキゾチックな顔をした女性を目にした。
東南アジアの留学生と思い「お国はどこですか」と声をかけた。「あら、失礼ね。私は横浜生まれの横浜育ち。教育学部3年の牧智恵子です」。これがなれそめである。学生時代から週末に横浜でよくデートををした。

『私の履歴書 森喜朗回顧録』(日本経済新聞出版社)P69
 ※太文字は筆者による

──ちなみに、森会長は愛妻家としても有名です。

それにしても、色がちょっと浅黒いというだけで初対面の女性にいきなり「お国はどこですか?」と不躾に聞いてしまうのは、実に森会長らしいと言えば、”らしい逸話” です。

早稲田入学の経緯がなかなか面白い!

早稲田大学

この森会長による『私の履歴書』は、文字通り ”面白おかしい本” です。それはすなわち、森会長の人生が ”面白おかしい” ということに他ならず、それはこの本の随所に描かれています。

例えば、早稲田大学への入学の逸話は ”面白おかしい” を超えて、なんとも怪しい入学の仕方をしているのに気づかされます。

ちなみに、森会長は高校生の頃にラグビーに打ち込み、早稲田大学のラグビー部に憧れて入学を希望したと言っています。しかし、彼の成績は早稲田に入るには見劣りするものでした──

父も学校に呼ばれ「あなたの息子さんは早稲田は無理ですよ」と言われて帰ってきた。父は反発した。「こうなったら仕方がない。意地でも喜朗を早稲田に入れてやる」と言い、早稲田ラグビー部監督・大西鐡之祐先生への紹介状を書いてくれた。
「これを持って東京の大西さんのところへ行ってこい」。大西先生はラグビー部で父の4年後輩にあたり、ラグビー部が根上町に合宿に来た際にはコーチとして我が家に寝泊まりしたことがあった。後に全日本の監督となり、スポーツ界では著名な人だった。

『私の履歴書 森喜朗回顧録』(日本経済新聞出版社)P41
 ※太文字は筆者による
大西鐡之祐

大西鐡之祐(おおにし てつのすけ)先生は「まず補習授業を受けなさい」と森会長に言ったそうです。
なぜならば、当時の早稲田大学では、スポーツの推薦入学生に対して、まず補習授業を受けることを条件にしていたからです。

私は東京に来て1ヵ月ほど猛特訓でこの補習授業を朝から晩まで受けて、早稲田の商学部を受験した。合格点には達していなかったかもしれないが、足らざるところはラグビー部推薦でゲタを履かせてもらったのだろう。

『私の履歴書 森喜朗回顧録』(日本経済新聞出版社)P42
 ※太文字は筆者による
森茂喜

森会長の父親、森茂喜(もり しげき)氏は早稲田大学出身の軍人でした。
少佐の階級で終戦を迎え、その後、地元である石川県根上町で町長を「9期36年」も務めた地元の名士です。

そのような早稲田出身の名士が、懇意にしている、しかも後輩でもある早稲田のラグビー部の監督に推薦状を書いた。もちろん、監督の影響力は相当なものだったでしょう。そして、息子の森会長は晴れて合格することができました。

これは、スポーツの推薦入学というよりも、むしろ「縁故入学」といった類のものではないでしょうか?

というのも、この『私の履歴書 森喜朗回顧録』では、後の方に「私は早稲田に入るときに父の力を借りたので、就職は自力で打開したいと考えた」と書いてあり、いかにも父親の ”コネ” ”縁故” であることを臭わせているからです。

産経新聞入社の経緯はかなり面白い!

そんな森会長は、就職では非常に苦労したと語っています。
大学時代に政治家を志した森会長は、そのステップとして先ず新聞記者を希望しました。

水野成夫

森会長は、学生運動を支援していた自民党の人間に相談し、財界で有名な水野成夫(みずの しげお)氏に向けて、またもや紹介状を書いて貰うわけです。
この水野氏は『フジテレビ』の初代社長も務めた「財界四天王」と呼ばれた大物実業家で、当時、産経新聞の経営再建に当たっていました。

この水野氏は紹介状に目を通すと──
「わかった、産経の担当者に話しておこう」と言ってくれたのです。
ところが、いつまでたっても産経新聞からは連絡がきません。

おかしいなと思って問い合わせてみると、人事担当者に「水野社長はそう言ったかもしれないが、うちは経営再建中で新人の採用予定はない」と言われてカッときた。思わず「天下の水野社長がうそをつくとは何だ」とかみ付いた。
しばらくして「採用試験をやるから受けろ」と連絡があった。私は「試験をやって、その成績が悪いのを理由に採用しないつもりだな」と思ったので「試験は受けない。水野社長との約束を守ってほしい」と言い張った。しかし、担当者が「試験を受けないと採用しない」と言うので、仕方なく試験は受けた。試験では白紙の答案を出し、最後に「天下の水野社長は前途有為な青年をつぶしてはならない」と書き加えた。
どうなることかと思ったが、間もなく産経から正式な採用通知が来た。

『私の履歴書 森喜朗回顧録』(日本経済新聞出版社)P63~64
 ※太文字は筆者による

驚くべきことに森会長は、白紙の答案で産経新聞に潜り込んでしまったことになります!

森会長は「就職は自力で打開したい」と言っておきながら、やっていることは知り合いを利用し、力ずくで「コネ」「縁故」作ってしまうことです。
このあたり、『私の履歴書 森喜朗回顧録』の帯に書かれている「出会いを大切にし、多彩な人脈を駆使して」というのは、なるほど、こういう意味なのかと妙に納得してしまいます。

そして、このような性格と、これまでの過ごしてきた人生とが見事に絡み合い、現在の「人間 森喜朗」を形成した──つまり、これまでの人生で醸成されてきた不躾で強引なキャラクターが、森会長を失言を繰り返す人間へと変容させていったものと考えられるのです。

森会長は歴史に悪名を刻むことになる!

東京オリンピックについては世論調査でも明らかのように、今や7割~8割の国民は「延期」あるいは「中止」を求めています。
実際問題、世界でコロナが蔓延している現在において到底開催は不可能です。

実は、このことは大会関係者も内心では思っているし、それは森会長とて例外ではないはずです。
しかし、責任を取ることを何よりも恐れる日本人は、誰も中止を言い出さない、言い出せない──

ところが、今回の森会長の失言で潮目は大きく変わりました。
端的に言って、森会長の失言はオリンピック中止のために「利用」される可能性があります。現にボランティアの離脱が始まっていますし、聖火リレーを辞退した芸能人もいます。

そして大会関係者からも「このような発言があるようでは、到底オリンピック開催は困難」という声が上がるでしょう。その意味で、今回の森会長の失言は、失言以上のダメージを森会長に与えるでしょう。
具体的には、森会長は歴史に悪名を刻むことになります。

後世の歴史家は、東京オリンピックを次のように評するでしょう。

東京オリンピックが中止になった原因は二つある
一つは、新型コロナの世界的な蔓延のため
もう一つは、森喜朗 大会組織委員会 会長の女性蔑視発言のため


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