参院選で憲法改正を争点にする安倍晋三に捧げる『愛と幻想のファシズム』

Introduction:参院選後、もしかしたら安倍首相の高笑いが聞こえてくるかもしれません。

それでも、参院選の投票日に、憲法9条の改憲の話で ”しかめっ面” をするのも野暮な話です。

今日は、安倍首相の進める不可解な改憲など笑い飛ばして、村上龍の昔の小説に触れてみるのはいかがでしょうか?

バブル経済の最中に執筆された『死と幻想のファシズム』など、まさに今日的な作品だと思います。

僕たちは安倍首相に何を奪われたのか?

「強い信念と意志ある政治が今必要なのは、だれの目にも明らかだ。強い指導力と団結は、今の日本に何よりも必要なのだ。」
「弱者は死ね。奴隷に甘んじる人間は死ね。選別された人間だけが生き残る、そして俺に同化しろ!」
~村上龍『愛と幻想のファシズム』(講談社)~

ひとことで言うと、現在、日本という社会は根底からガタがきていると思います。それが戦後 ”焼け野原” から再建した社会が、70余年を経過して ”ガタがきてしまった” と把握して良いかどうかは不明です。

しかし、少なくとも ”焼け野原” が出現したのには、それ以前の歴史(時間)があったからです。

歴史は、ある国家社会(国家以前には共同体)や、国家関係のマクロな動向として捉えることができます。
この ”歴史” を決定しているのは、結局、<ケーザイ>だと認識することは正しいことだと思います。

しかし、そのマクロな歴史の只中には、無数の(実際には有限の数の)<人々>の生があったわけです(英雄や有名人の生だけでなく)
もし人間が、貴重なものであるのなら、その歴史を生きた個々の人々の数だけ歴史はあった。

 さて、筆者は常に<市民>と<政治>について書いてきました。
 それでも、ほんとうの<市民>は、<市民>を疑います。
 <市民>である、自分自身を疑います。
 それが<民主主義>の原理です。
 それは ”市民的常識” に自足しない市民です。
 (<”市民” はそんなに正しいのか?>)

メンドクサイ論議ですが、しかし、”疑うこと”、”批判すること” は、”考えること” であり、”近代(モダン)” とか ”近代人” が、ここから始まったことは<事実>です。

しかし、ここで言いたいのは、そのように明白な事実のことでは、ありません。

つまり、ある種のことばが奪われつつある(あるいは ”もう奪われた”)という事実です。

例えば、<意識>、<社会>、そして<意識と社会>という関係です。
<自由>、<国家>、<ナショナリズム>、<共同体>、<関係>、
<感性>、<愛>・・・・・・いくらでも奪われつつある言葉を列挙できます。
<市民>、<民主主義>、<反戦>、<連帯>、<革命>、<メディア>でも構いません。

安倍首相に一泡吹かせる方法がある

日本の現状は経済的にも文化的にも危機にある、その危機は幕末や敗戦にも匹敵するが、現状況の断面が危機にあるのではなく、破局へのゆるやかな過程にあるという意味であらゆる過去とは特殊なところにある、原因は戦後にある、戦後のすべてが原因だ、GHQや歴代政府や各政党や労組や教育やマスコミや文学といった個別のセクションでは戦後全体に原因がある、その検証は必要だがそのためには大東亜戦争後だけではなく、幕末維新から現代までを含めなければならない、さらにアジアでの戦争とアメリカ化の問題を文化の面からも探らねばならない、そしてその検証には人類学や生物学や情報科学の手を借りなければならないだろう。

たぶん結論として見えてくるのは、戦前への回帰といったことではないはずだ、またモデルとする国も文化もないことにはっきりと気付くだろう、最も大切なのは曖昧なままに日本を破局に陥れてはならないということだ、他国による破壊が一定の速さで進むのを阻止するためには、自ら意志を持って現制度を一度叩き潰さねばならない、その意味においてだけ民族主義は成立する、何よりも必要なのは切開であり、意志を持った破壊、実験だ、・・・・・・。
~村上龍『愛と幻想のファシズム』(講談社)~

結局のところ、日本は戦後の焼け野原の時代どころか、それよりずっと以前からガタがきているのかもしれません。

歴史の教科書を紐解き、そこに文明と権力と闘争の ”ようなもの” が描かれている時代からずっと、日本はガタがきてるんじゃないか? そして、これが日本の常態なのではないか?

このことは、アメリカ人もヨーロッパ人もアフリカ人も理解できないと思います。なぜならば、彼らはガタがきているのが常態ではないからです。
だからといって、彼らが優れているわけでもなく、僕たちが劣っているわけでもありません。

言わばこれは「個性」のようなものです。
彼らと僕たちは違う。だから彼らと価値観を共有することもない。

この個性を、少し頭の悪い安倍首相のような方は、あたかも日本は特別で素晴らしいかのように認識しているようですが、思い上がりも甚だしい態度です。

結局、僕らは有史以来、ガタガタの日本で、ガタガタを前提に物事を考えるしかなかった。すべての出発点はそこから始まる。

少しでも考えて欲しいのですが、安倍さんもそうですが、日本人が世界の最前線で、外国人を相手に「国家レベル」で議論をリードするなんて、できると思いますか?

できませんよね?
というか、そんなこと、きっとやりたくないでしょう?

日本人はその程度の「器」なのです。

「特定秘密保護法案」しかり「日本版NSC」しかり「安全保障関連法」しかり。
憲法9条を改正しても、安倍首相には何もできやしません。自衛隊を本物の戦場に派遣できるほどの度胸・資質・能力をもった政治家など、日本には存在しないからです。

安倍首相は「はじめて憲法改正をした首相」という肩書が欲しいだけ。改憲を果たした首相として歴史に名を残したい、つまり「レジェンド」になりたいのです。

よって、安倍首相をキリキリまいに、これでもかというほど痛めつける方法はちゃんとあるのです。

そうです、憲法改正が現実化した時に、私たちは国民投票によって憲法改正を「否決」することです。

しぶとい安倍首相ですが、このことは彼にとって一番の痛手となります。
これにより、安倍首相は長いこと首相を務めたにも拘らず、レジェンド一つ残せなかった首相として長く語り継がれることになります。

「僕の考えでは、人類はその最終的な形態をとろうとしておるね」
「この大不況のことですか?」
「洞木君、不況はいずれ収まるよ、たぶん戦争も内乱も起きないでしょう、すべては、経済が要求するのです、芸術も戦争も革命も、経済が要求するのです」

「経済が今何を要求しているのですか?」
「人類の最終的な社会形態を要求しているのです、それが成立するまでは、戦争は起きませんね」

「最終形態って?」
「世界国家ですよ、約三百五十万年前に始まった人類の歩みがいよいよ最終段階に入るわけです。あなた方はそれに反逆しておる、そうだ、反逆しなくてはいかん、僕は手を貸しますよ」
~村上龍『愛と幻想のファシズム』(講談社)~

仮想敵国というものがあります。
日本にとって、昔は「旧ソ連」でした。
今、ロシアに対して ”仮想敵国” 呼ばわりする日本人を見かけることは稀です(北方領土問題で文句を言う日本人はたくさんいます)

現在の日本にとっての仮想敵国は、さしづめ「中国」でしょうか。
そのような中国は、日本に対しこれまで何を仕掛けてきたか?

「レアメタル」「レアアース」輸出の禁止ということもありましたし、「防空識別圏の拡大」ということもありました。
中国は尖閣諸島の所有権を主張し、領空侵犯・領海侵犯は日常茶飯事です。

しかし、中国はアメリカとの経済戦争が激化するや、日本に対し軟化の姿勢を見せ始め、安倍首相も桜の季節に習近平を ”国賓” として日本に招待しています。

面白いですよね。
なんだか中国に弄ばれていませんか、安倍首相?

第二次世界大戦中でさえ、大本営には強力な指導者はいなかった、だいたい日本は恐ろしくニュートラルな国だからね、対立とか挑戦とか衝突を回避するのがものすごく上手だ、そのために権力は分断されて、総理大臣ですら大変に不自由だ。
~村上龍『愛と幻想のファシズム』(講談社)~

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