【解説】イスラエル&パレスチナ戦争を理解するために ~ハリー・S・トルーマン「──アラブの肩を持っても票にはならないだろう?」~

国連特別委員会

東京23区の6割弱程度の広さの地域に、約200万人ものパレスチナ人が閉じ込められている。
このガザ地区の人口は2009年当時、約150万人と発表された。イスラエルからの厳しい弾圧に耐えながらも、この14年間に50万人増えた計算だ。
この200万もの人々は約75年前、パレスチナの地にユダヤ人国家・イスラエルが建国された結果として ”民族浄化” された難民、もしくはその末裔である。

1947年、国連特別委員会はパレスチナを「アラブ国家」「ユダヤ国家」「エルサレム、ベツヘレムの国連統治地区(エルサレム特別国際管理地区)」の3地区に分割する案を採決にかけた。
この分割案は賛成33、反対13、棄権10で可決されたが、これはパレスチナ人にとって非常に不利な内容であったと言える。
パレスチナの土地の6%しか所有していなかったユダヤ人が全体の52%もの領土を得ることになり、これらは水資源が豊富で農耕に適した土地であった。
また都市部の大部分もユダヤ人側に渡ってしまった。
パレスチナ人に与えられたのは半ば砂漠と化した、荒れ果てた土地でしかなかったのである。

一般にあまり知られていないこととして、国連がこの分割案を決議するに際し特別委員会を設置し、分割案を多方面から検証していたことが挙げられる。
そして、この特別委員会が分割案に対し、どのような結論を下したのか?
要約すると次の通りとなる。

①「法的観点」から言えば、この分割案は国連憲章、国際法からすれば「違法」である。
パレスチナはイギリスの委任統治領(いわば植民地)であり、委任統治の目的は該当地域の人民が独立できるまで他国がその地域を統治することである。
よって、新たな他国をそこに作るというのは委任統治に反する行為である。

②「経済的観点」から言えば、この分割案はユダヤ国家にとっては非常に都合のよいものであるが、このような分割を行った場合、パレスチナ国家は「持続不可能」となる。

③「政治的観点」から言えば、第2次大戦後ドイツより開放された大量のヨーロッパ・ユダヤ人難民問題は速やかに関係当事国が解決すべき問題であるにせよ、このような問題をパレスチナの地に肩代わりさせるのは端的にいって「不正」である。

【結論】
法的に「違法」、経済的に「持続不可能」、政治的に「不正」 この分割案は機能しないと結論付けることができる。したがって、この分割案は国際司法裁判所で審議されるべきでものある。

ハリー・S・トルーマン

アメリカ国務省なども当初、外交方針としてその土地の多数の住民の福利に反することは行わないとし、分割案には反対の立場をとっていたのに関わらず、そこに介入してきた人間がいる。
アメリカ大統領・ハリー・S・トルーマンである。

トルーマンは国連特別委員会の結論を覆し、最終的に国連総会で分割案を可決させることに成功した。
このことについては、トルーマンが翌年1948年に迎える大統領選挙を非常に意識したからだと言われている。

当時アメリカには約600万人のユダヤ系・アメリカ人が住んでいた。
彼らは総人口の3%にも満たないマイノリティーであったのだが、政財界を中心に多方面で活躍するユダヤ人を無視するわけにはいかず、また中東における石油利権の配慮からもイスラエル建国を承認する必要に迫られていた。

「なぜ、あなたはそれほどまでにユダヤ人に肩入れするのか?」
記者の質問に当時のトルーマンはこう答えたという。「──アラブの肩を持っても票にはならないだろう?」

ダヴィド・ベングリオン

1948年5月14日。
ユダヤ人国家・イスラエルの建国が宣言されるわけだが、その時点でもヨーロッパから移住してきたユダヤ人はパレスチナ全人口の3分の1程度に過ぎなかった。
イスラエルは主にユダヤ人が多く住む地域が該当しているが、その多くは都市部でありそれが故に多くのパレスチナ人もそこに住んでるという現実があった。
したがって、国連分割案がその通り実行されたとしてもイスラエルの領土におけるユダヤ人の割合は全体の6割弱でしかなく、残りはパレスチナ人で埋め尽くされることになる。
人口増加率の著しい差、ユダヤ人に比べ数倍も人口増加率の高いパレスチナ人を考慮に入れると、近い将来人口比率が完全に逆転してしまうことは誰の目からも明らかだった。
この点をベングリオンは非常に危惧していたのである。

「ユダヤ人が6割では強力かつ安定的なユダヤ人国家になることなど、絶対にありはしない」
イスラエルの初代首相にもなったダヴィド・ベングリオンは、イスラエル領土内に住むパレスチナ人を徹底的に排除し限りなく純粋なユダヤ人国家を作るべきだと人々を教唆する。
ユダヤ人は、イスラエル建国前から入念に検討されてきた「ダーレット計画(D計画)」により、パレスチナの重要拠点の占領、パレスチナ人の追放を着々と進めていった。

その象徴となったのが国境不明記宣言である。
ベングリオンはイスラエル建国宣言の際に明確な国境を明記しなかった。
彼はアメリカも独立宣言において国境を明記しなかったと主張した。
これはあたかも独立後のアメリカが、インディアンの土地やメキシコの領土を収奪して国土を拡大していった歴史にイスラエルを重ね合わせていたかのように思われる。
この結果、当初の国連分割案52%の領土に対し、1993年のオスロ合意の時点で既にイスラエルはパレスチナ全体の77%もの領土を獲得していたのである。
そして、そこには目を覆うばかりの虐殺の歴史が横たわっている。

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